「それで、隆嗣の財布の中を心配しているのかね?」
グラスを振って氷の音を立てながら、ジェイスンが口を挟む。
「そんなこと気にするな。これまで10年以上続いた上海バブルを舐めちゃいけないよ。その中で築いた彼の資産は、それらに費やした分を差し引いても、これから先の人生を過ごすのにはお釣りがくるほど残っているさ」
幸一は唸ってしまった。ジェイスンが続ける。
「隆嗣は、李傑に奪われた19年の歳月を、その19年の間に蓄えた財を放出して取り戻したんだ。李傑に償わせることでね……。お蔭で、今のあいつは憑き物が落ちた良い顔をしているよ。学生時代に戻ったようだ」
幸一は、かつてマレーシアのホテルで夜の潮風を受けながら聞いた隆嗣の言葉を思い出した。(やらなくてはならない人生の清算)確かそう言っていた。
「でも、それでいいの?」
唐突な慶子の大声に、幸一とジェイスンが振り返った。彼女は迎春に顔を向けていた。
「すべてを清算して日本へ帰ってしまうのよ。中国へ戻るつもりはないと言っているのよ」
慶子が何を言いたいのか判る男たちは発言を控え、迎春の口が開くのを待った。
「今、あの人に必要なのは、ゆっくり休むこと。いずれ休むことに飽きたら、自分から帰ってくるわよ。ここへ」
自分に言い聞かせているのか、それとも自信があるのか、迎春は笑顔だった。
この別離も一つの認命、仕方がないわ。でも、待っていれば必ず次の運命が訪れるはず。迎春は、心の内でそう自分を励ましていた。
しばらく続いた沈黙の中、階下から来客を知らせる鈴の音と、小姐たちの「いらっしゃいませ」という唱和が聞こえてきた。夕食を済ませたお客たちが、異国でのクリスマスイヴを賑やかに過ごそうとやって来たのだろう。
顔を上げた幸一が、いきなり頓狂な声を上げた。
「カラオケを唄ってもいいかな」
「ええ、唄ってください。今日はクリスマスイヴですよ、楽しみましょう」
迎春がカラオケのリモコンを手に取る。
「リクエストは何ですか?」
幸一が答えた。
「リチャード・マークスの『ライト・ヒア・ウェイティング』を」
(つづく)