桜新町、サザエさんの町で、寿司屋の二代目は生まれました。寿司の「しゃり」を嫌って2店の和食修行に入り、やがてご近所さんが待ちに待った本格懐石の蕎麦屋を興します。
“客が命よ”と初代から受け継いだ職人気質に人情のオーラが宿りました。
(1)店のオーラ
「蕎麦屋の時代」の空気を掴む
江戸後期の書物に文化(1804-1817年)のはじめ頃、深川六軒堀の「松乃鮨」が売り出した寿司が、“世上の寿司を一変”させたとあります。それまでの押しすしから、「握早漬(握りすし)」の登場でした。
これが江戸前寿司の始まりとされ、瞬く間に人気を広げ、上方にまで昇っていきました。
東京は桜新町の江戸前寿司の2代目は「しゃり」が嫌いでした。
蕎麦粉が10に対して小麦が1の外一(そといち)蕎麦。微妙な腰を作りだしている。 |
すし飯の酢、その匂いを好まず、それは後年食べず嫌いと気づいたそうですが、それではなかなか店を継ぐ気にはなれなかったでしょう。
初代は35年前この地に寿司屋を開きました。
2代目は原口博文さん、後に蕎麦屋「しんとみ」を興すことになります。
原口さんは中学時代から出前にも行くし、簀巻きや魚の捌きぐらいは手伝いをし、店に出るのも嫌がることは無かったそうです。初代から職人の血筋はしっかり受け継いでいたのでしょう。
大学を卒業すると、叔父の紹介で寿司屋ではなく和食店の修行に入ります。年齢はすでに25歳、職人見習いとしては遅く、6人いる中では最年長でしたが、根が明るいから気になりません。
「みんな18歳ほどで入ってくるから、採ってくれた親方には感謝しました」
4年の修行を終えて、原口さんはもう1店、修行に入ります。親方同士が知り合いの小さな和食店でしたが、懐石料理では知られた店でした。才気を見込まれたのでしょう。
「その店で、今の「しんとみ」の料理の基礎が出来たと思っています」
その「しんとみ」のランチの懐石弁当を頂いてみました。
出汁巻き玉子、しいたけや菜の花やにんじんの煮もの。うるいの和え物、石川小芋に蓮根、焼き若筍、サーモンの衣揚げ、帆立の醤油焼き、京の万願寺唐辛子、金目鯛の押し寿司。限定懐石弁当で特上のお昼に。 |
ほんのりした甘さの出汁巻き、しいたけや菜の花の煮もの。にんじんは花形切りにして手抜きがありません。うるいの和え物、焼いた石川小芋に500円玉ほどの可愛らしい蓮根、焼き若筍が並んでいます。サーモンの衣揚げ、帆立の香ばしい醤油焼き、京都からの万願寺唐辛子、漬けにした金目鯛の押し寿司が見るからに美味しそうです。
これに蕎麦があって、デザートが付いて2500円なのですから、コストパフォーマンスには驚きます。