古賀 私が公務員制度改革に関わるようになったのは、実は2006年の12月に渡辺さんが入閣したときで、渡辺さんから呼ばれて「補佐官になってくれ」と言われたのです。しかし、私はその少し前に、大腸がんの手術をしていて、抗がん剤を飲みながら治療していた。それで途中で倒れると困るからと断った。そのとき、ただ断るのは悪いから、経産省の後輩で原英史君(現・政策工房社長)を、「すごいのがいますよ」と言って、渡辺さんに紹介した。

 渡辺さんもすごいのは、原君に会って5分、10分話しただけで、「じゃあ頼むな」と採用を決めたこと。原君が渡辺さんの下で、ずっと法案をつくることになるわけですが、まだ私よりだいぶ年次も下だし、これから総務省とか、人事院とか、(首相)官邸官僚と戦わないといけない。そこで、原君の下に同じ経産省の金指壽君という若手をサポート役としてつけた。この二人は大変優秀なのでけれども、大変なところに出しちゃって、「悪かったかな」と、思ったりしました。

高橋 そこのところは、実は結構体制が整いつつあったのですね。最初に渡辺さんが行革担大臣と来たときに、官邸と共闘を組まないといけないのですが、私はそのとき官邸で補佐官補として公務員改革以外の他の仕事もやっていた。渡辺さんの大臣就任日は年末だったけれど就任式の直前、朝早くから某病院に閉じこもり、私と二人だけで打ち合わせをした。安倍総理の指示も伝えた。

 その後も、古賀さんが来なかったから私が渡辺さんのサポートをしたが、官邸勤めの場合は兼務は難しい。原君が来てくれて私はとても助かりました。渡辺さんは基本的に官邸にはいないので、物理的に離れていると改革をやるのがすごく難しい。原君が来て、それで私は官邸のほうで改革に取り組む。そのときの官房長官が塩崎(恭久)さん。

「塩崎さんと渡辺さんが改革の原動力だった」(高橋)、「渡辺さんのすごいところは即断即決」(古賀)

 塩崎さんは、最初はあまり改革に積極的ではなかったのですが、すぐに重要性を理解しすごく前向きになってくる。官房長官だから、我々もすごくやりやすくなった。塩崎さんがいなかったら、もっと大変だったと思いますね。渡辺さんと塩崎さんも、いい関係でうまくやっていた。安倍さんのほうは「任せた」という感じでしたから、そこですいすいといくという感じになったのです。