土地の伝説さえも書き換えた!
戦前日本の「純潔」プロパガンダ

 明治期に生まれた「結婚するまで処女を守るべき」という貞操観念はその後、日本が泥沼の戦争に突入していくことで、その後の日本人に大きな影響を与える「恋愛観」へと進化を遂げる。

 それは、禁欲を強いられる男たちとともに、女たちも同じように純潔を守るべし、という「我慢比べ」ともいうべきストイックさこそ正しく美しいという考え方だ。

 ご存じのように、先の戦争では、多くの男たちが国のために命を捧げよと戦地へ送り込まれた。彼らの心残りは日本に残してきた妻や恋人であることは言うまでもない。そこで国はどうしたかというと、女性たちに「銃後の妻」として、戦地にいる男たちのために操を守るべしと説いてまわったのである。

 当時、このプロパガンダが、いかに効果があったかということは、「土地の伝説」を書き換えてしまったことからもわかる。

 奄美大島で1830年ごろ、貧しさゆえに身売りされた「かんつめ(カンテメ)」という美しい女性がいた。彼女は若い男と恋仲になるも、それをこころよく思わぬ主人からいびられて、世に絶望して自ら命を絶ってしまった。この事件は島民の間で語り継がれていたが、第二次世界大戦が迫りくる1927年ごろに、地元出身の民俗学者・茂野幽考によって大胆なアレンジがなされる。

《茂野が強調しているのは、かんつめの「純潔」である。主人に強姦されて、「純真一徹の娘カンテメは(略)身の純潔を守るために(略)死んでいった」というのである》(朝日新聞2007年1月13日)

 なぜ悲劇のヒロインは「純潔」を守らねばならなかったか。奄美市在住の民族研究家、高橋一郎さんは、《「銃後の守り」が重視されていくなかにあって、時代の要請に合う形で伝説がつくられていった》と見ている。筆者もその分析は妥当だと思う。

 このような伝承を書き換えてしまうほど強力な浸透力を持ったプロパガンダが、戦争に敗れたとはいえ、そう簡単にその効果がなくなるとは思えない。事実、現代においてさえ、企業戦士として戦う夫を支え、家を守る女性にも同じように我慢比べのような「ストイックさ」を求める風潮は決してなくなってはいない。