昭和家庭の“児童虐待あるある”
精神科に強制入院させられた女性

 このパターンは、昭和の中産階級に少なからず見られた「虐待あるある」だ。食事を食べさせ、みすぼらしくない服装をさせ、目に見えるところに傷やアザをつくらない程度の暴力しか振るっていない場合、まず「虐待」と認識されることはない。それどころか、「充分な愛情を注いでいるにもかかわらず、子どもに理解されない哀れな両親」というアピールが可能だ。周辺の大人たちの中に「何だかヘンだ」と気づいている人々がいても、他人が介入することは不可能に近い。

 3歳の浩美さんは、幼稚園に通い始めて間もなく、虐待されていないクラスメイトたちと自分を比べて「ウチは、なんだかおかしい」と気づいた。しかし、何か具体的な対策を講じることはできなかった。

 虐待の背景にあったのは、同居していた父方の祖母と母親の対立、いわゆる「嫁姑問題」だ。同居していた父方の祖母は、初孫の浩美さんを大切にしていた。このため、父方の祖母を嫌っていた母親は、浩美さんを虐待しはじめたようだ。さらに3歳下の妹が生まれると、母親は妹を溺愛し、父方祖母は妹に辛く当たるようになった。母親への当てつけである。

 この「嫁姑問題」と、2人の娘がどちらも誰かに虐待されたり辛く当たられたりしている状況を放置し、ときには自ら虐待に参加していた浩美さんの父親は、依存症らしき問題を抱えていたようである。しかし、依存の対象を分散することにより、問題視されるほどの依存状態に陥ることを回避できていた。浩美さんの記憶の中の父親は、家庭の中で酒を飲んで暴言を吐くことが多かったものの、対外的には飲酒に関連した問題は起こしていなかった。また、買い物依存となってサラ金で多重債務を抱えた時期もあったが、返済できる金額にとどめ、後に完済したという。

 医師で障害科学研究者でもある熊谷晋一郎氏によれば、人間の自立は「依存先を増やすこと」である。浩美さんの父親は、巧妙に自立していたのだろうか。それとも、巧妙に依存していたのだろうか。判断が悩ましいところだ。

 浩美さん自身にも、依存症の症状が現れた。小学生の浩美さんは、身体を壁にぶつけるなどの自傷行為が止まらなくなり、ついで摂食障害が現れた。両親が飼っていた鳥に生の穀物をエサとして与えているうちに、その鳥のエサを食べることに夢中になり、「懸命に食べる」ようになった。学校では「イジメられてばかり」。