大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。

 前回、朝鮮戦争特需によって日本のGDPが押し上げられ、戦後不況を脱したことを書いた。今回は朝鮮戦争の直前、苦境にあえぐ日本経済がどのような状況だったのか、「ダイヤモンド」の誌面を通してみておこう。

ハイパーインフレ終息策「ドッジ・ライン」で
デフレが進行、大不況へ突入

 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏して第2次大戦は終結する。生産設備は破壊され、供給力は急減する。しかし兵士の帰国、海外からの引き揚げ者への対応など、帝国日本を解体するための財政支出は巨額にのぼる。政府は貨幣を増発してまかなうしかないので、激しいインフレに襲われることになった。

 卸売物価は1935年を100とすると、1945年8月の敗戦時には350、1949年には2万800へ高騰している(日本銀行による)。まさにハイパーインフレーションである。

 1946年2月に金融緊急措置令と日本銀行券預入令が交付され、一種の預金封鎖が行なわれたが、財政支出は減らず、インフレはさらに進んだ。

 1948年12月、GHQ(連合国軍総司令部)はハイパーインフレを押さえ込むため、「経済安定9原則」を公表し、これに従うよう、日本政府へ指示する。

経済安定9原則(★注①)

1 総予算の均衡を図ること
2 徴税計画の促進強化
3 信用の拡張の厳重な制限
4 賃金安定計画の立案
5 物価統制の強化
6 貿易と為替統制の強化
7 輸出向け資材配給制度の効率化
8 国産原料・製品の増産
9 食料集荷の効率化