また、前回の自民党総裁選で出馬を模索して騒がせた野田聖子議員を総務・女性活躍大臣として起用したのもびっくりだった。自民党が挙党体制でこの支持率急落に挑むという危機感をひしひしと感じる人事だったと筆者は考えている。

 政権から転落してしまえば、もはや自民党内の勢力争いなんてしている場合ではない。「自公政権崩壊」を背にし、後のない状況にあることを党内に知らしめることで政権運営にあたる。これはまさに「背水の陣内閣」と呼べるだろう。

自民党の派閥を理解する
起源は1955年まで遡る

 今回の新内閣を「派閥人事」と揶揄する声もある。

 だが、自民党が派閥の論理で動いているのは今に始まったことではないし、安倍総理が他派閥に「気を使った」というより、清和会が自爆したため自派閥だけではもはや自民党をまとめきることができなくなった、と表現した方が正しい。だからこそ、安倍総理は背水の陣を敷かざるを得なかったのである。

 ここで、自民党の派閥の歴史について簡単に解説しよう。

 自民党内に存在する「派閥」とは、英語で「HABATSU」と訳されるように極めて日本独特のものだ。この起源を遡れば、1955年に自由党と民主党が合併した時にある。

 現行憲法に署名し、サンフランシスコ講和条約や日米安保条約締結を主導した吉田茂元総理大臣が率いた自由党を起源とするのが「平成研究会(額賀派)」である。小泉純一郎元総理が「自民党をぶっ壊す」まで自民党内の主流派であり、その起源からか憲法改正にもさほど積極的ではなく、田中角栄元総理の時代以降、公共事業への積極財政政策等の「The自民党」的な政治を展開してきた派閥だ。

 この系譜に、吉田茂の弟子だった池田勇人元総理大臣が設立した「宏池会(岸田派)」がある。したがって、宏池会もまた憲法改正には積極的ではないが、平成研のような政争にあけくれるイメージから一線を画し、政策通が集まったという印象だ。7月に結成された麻生太郎副総理が率いる「志公会(麻生派)」も、元をたどれば宏池会の分派である。