クリントン大統領との想定問答集を
会談2、3時間前に書き直した細川元首相

 1993年の9月に、私は細川護煕首相に同行してニューヨークに行った。重要な日程は、首相の国連演説と初の日米首脳会談であった。

 宿舎のホテルの上の階には、ワシントンから来たクリントン米大統領一行が宿泊し、首脳会談はそのホテルで行われた。

 会談の2、3時間前であったか、細川首相から私の部屋に連絡があり、「今ひとりだからすぐ来てください」とのこと。

 用件は、外務省が用意した大統領との想定問答集が気に入らないから全面的に変えたいというものだった。それから、首相の言いたいことを軸に2人で全く違うものを作成した。

 それに対するメディアの論調はきわめて好意的で、特に、首相の“肉声”が感じられたとするものが多かった。

官僚作文に終始した野田首相の国連演説
「世界と擦れ違い」は当然か

 内閣発足直後であること、初の日米首脳会談と国連演説。どれもこれも今回の野田佳彦首相の外交日程と同じであった。

 ただ、野田首相は、外務省の作成した演説や想定問答に忠実であり過ぎたのではないか。

 官僚作文は間違いがないという長所があるが、また短所も少なくない。

 おそらく、タタキ台は、前政権当時から担当課が用意していたはずだ。そこに情勢変化が加味されて修正されたとしても、タタキ台の筋はそれほど変わらない。だから、どうしても多少はピントがずれてしまうことが避けられない。