ここで、「無党派」というものを考えてみたい。よく、政党支持がない「無党派」が日本の多数派だといわれるが、そもそも、それを「無党派」と表現がすることが正しいのだろうか。日本の多数派は、無党派ではなく「中流」という表現の方が合っているのではないだろうか(2016.9.17付)。

「中流」とは、曖昧な概念だが、いわゆる「市民」というリベラル寄りで政治活動に熱心な層ではない。端的に言えば、代表的な「中流」は、終身雇用のステータスを持つサラリーマンの中間管理職や平社員とその家族だ。サラリーマンからすれば、市民運動やデモは、暇な人間がやることである。多忙な人や、経営が大変な中小企業の人ほど、こういう運動が実は嫌いだ(2015.9.19付・P3)。

 つまり、日本の多数派である「中流」とは、「リベラルな市民」ではなく、「消極的保守支持者」ではないだろうか。基本的には「保守」であり、自民党を支持している。しかし、業界団体や保守系団体などのような、強固な自民党支持組織とは違う。日常から熱心に政治活動しているわけではなく、政治からは距離を置いている。

「中流」は実は
切実な問題意識を持った人たちだ

「中流」の人たちは、選挙の時に基本的には「自民党」に投票する。彼らは、終身雇用・年功序列の日本型雇用システムの恩恵を受けている(2015.1.15付)。だから、基本的に現在の日本社会が続くことを望んでいる。彼らは安倍政権を「野党よりまだマシ」と考えてきた。

 彼らが、安倍政権を「野党よりマシ」と考えた最大のポイントは、「アベノミクス」である。筆者はアベノミクスを評価しない。高支持率を維持するために国民の望む「バラマキ」を、異次元に続けただけだからだ。だが、アベノミクスが中流の切なる心を鷲掴みしたことは、認めざるを得ない。

 アベノミクスが瞬間的だったとはいえ、「失われた20年」の長期経済停滞に苦しむ国民に一息つかせた。中流の人たちは、第二次安倍政権が発足するまでの、歴代政権が苦心惨憺取り組んできた財政再建や持続可能な経済運営に疲れ果てていた。とにかく、「今さえよければいい、一息つきたい」と思ったのだ(2014.2.5付)。

 彼らは、規制緩和や産業構造改革という成長戦略は、「目先の決算を乗り切った後にしてくれ」と思ってきた。とりあえず「先のことは考えたくない」のだ。安倍政権は、国民の多数派である中流の「本音」を見抜いていたからこそ、高い支持率を維持してきたといえる(2017.8.1付)。

 中流は、リベラルな政治家や市民運動からすれば「政治意識が低い」人たちとされがちだ。だが、むしろ市民運動側よりも切実な問題意識を持っている人たちではないだろうか。食べていくため、家族を養うため、非常に現実的に社会を見ている。そして、自民党を盲信しているわけではない。