「ガレキとビジョンを往復したい」

 これは、復興のために奔走している渡辺一馬が言い放った言葉だ。いま、復興の担い手となる新しいリーダーを育てるべく、東北で奮闘している男だ。彼は、若者が社会の課題に向きあう機会として、「山積みとなったガレキ」ほど素晴らしい機会はないのだ、と言う一方で、次の世代を担う若者に対し、狭い地域の課題を解決するのみならず、「世界に通用する」モデルを生み出してほしい、と語る。復興の主語は誰なのか、僕にはっきりと見せてくれたのは渡辺と彼のビジョンだった。

渡辺一馬。危機をあえて「チャンス」と捉え、新しいリーダーを育てようと奔走している。

 渡辺は東北の新設大学の一つ、宮城大学の一期生として活躍し、ウェブやITを使いながら地元企業の商品開発やマーケティングに貢献し、この世代では唯一仙台に残って活動を続けたこともあり、東北発の学生ベンチャーとして注目された。その後、地域の起業家の育成というミッションを掲げ活動し、東北の未来を担う人材として期待されていた。

 渡辺はこの震災という事態を「人材を育成するチャンス」とし捉えている。ボランティアやインターンのコーディネートという形で、津波の被害を受けた沿岸部に次々と若者たちを送り出していった。若者が社会に必要とされる現場がいくらでもあるのだ、と彼は言う。

 ただし、渡辺はこうも付け加える。

「パレスチナ難民の話を聞いたことがある。国際的な支援が『施されて』しまい、結果として住民の被害者意識を増大させ、生きる力を失ってしまったそうだ。東北をそうさせてはいけない」

 実は、渡辺と僕との付き合いは長い。社会起業家の育成で日本をリードするNPO法人「ETIC.」、そのモデルを地域に展開しようと始まった「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」で出会った、同じ問題意識を共有する同世代だった。

 とはいえ、震災後に彼を訪ねたとき、僕は「東京から手伝えることがあれば」という程度にしか考えていなかった。だが、数十分話したのち、そんな「虫のいい話」ではない、ということを痛感した。彼の自宅は半壊状態にあり、さらに第二子が生まれる直前という状況で、体力はすべて緊急支援のために使い果たしていた。彼の顔からはいつものような覇気は消え、いつもの柔らかな語り口は苦々しさで満ちていた。

 ヒアリングをした翌日、渡辺と再度話をした。彼の事業の再構築や周辺の起業家の支援なら、役に立てる、そう伝えた。そして翌週から仙台入りし、奮闘の日々が始まる。