これまでの記事では、東北を中心に復興を目指して国内で活動するリーダーを中心に追ってきた。今回の記事では、米国から日本を支援したいという日系アメリカ人の問いかけをヒントに、世界から寄せられている支援の申し出に「東北」、そして日本がどう応えていくべきなのか、考えていこう。グローバル化する社会の中で、世界最大の被援助国の一つとなった日本は、震災を契機にどのように変わっていく必要があるのだろうか。

東北を訪れた日系アメリカ人

「私たちに何ができると思う? あなたの意見をもっと聞かせてほしい」

訪れた宮城県牡鹿郡女川町で、被害の規模に唖然とする日系アメリカ人の姿。

 これは、東北の地を訪れた日系アメリカ人が震災復興に奔走するリーダーに尋ねた言葉だ。

 ちょうど1か月前の9月8日。人命救助やライフラインの復旧が一息つき、被災者の仮設住宅への入居が本格化する頃、アメリカ在住の日系アメリカ人の一団が、東北の地を訪れた。ハワイ、シアトルなど、日系アメリカ人の多い西海岸から東京に集った一行は、そこから新幹線で仙台へ、そしてレンタカーに揺られながら現地に向かった。

「信じられない、想像以上だ……」

 各国から、東日本大震災における救助・復興に支援が寄せられ続けたが、その中でも、日系アメリカ人は熱心に支援を続け、現地まで足を運び、「何ができるのか?」と問いを重ねた。

なぜ対話はすれ違ったのか?

 僕も日系人の東北訪問に同行し、多くの会合に出席したが、いずれも実りが多かった。訪れた日系人の多くは、渡辺一馬や崔炳康のように震災を機に新しい挑戦が生まれようとしていることに驚嘆を示し、自分たちも貢献していきたい、という言葉をかけてくれた。

 だが、僕の評価としては、続々と寄せられる国際社会からの支援の声に応えていくことを考えると、多くの課題が残ったと感じている。

 時間や通訳を挟んでの会話ということもあり、日系アメリカ人に「どういう支援を求めているのか?」と聞かれると、リーダたちは率直に「資金と人材に困っている」と答えてしまった。これ自体はミスコミュニケーションではないのだけれど、短期的に「支援する、される」という関係ではなくて、その先に何が一緒にできるのか、という展望を示すことができず終わってしまった。

 これは、日系アメリカ人と対話したリーダーたちの普段の立ち振る舞いから考えると、おそらくは、欧米の寄付市場特有の文脈に慣れていないことが大きな要因ではないだろうか。

 今後の対話のあり方を探る上でも、まず、欧米のフィランソロピー(慈善活動)の文脈を踏まえておこう。