かつては緊密だった
神戸製鋼とソ連の関係

 着々と「世界一」の名声を得て、遠のいていくライバルの背中を見て、神戸製鋼の経営陣は焦ったに違いない。そんな上層部たちからすさまじいプレッシャーをかけられ、「成果」を求められた現場の人間の苦悩はどれほどだったことだろう。ましてや当時は「過労死」や「週休2日」といった概念もなく、朝から深夜まで働きづめが普通という超ブラック社会である。

 ほんのちょっとのズルでみんながラクになるのなら――。そんな悪魔のささやきに転ぶ人がいてもおかしくはないのではないか。

 いやいや、誇り高い日本の技術者たちがいくら苦しいからって、そんな簡単に不正に手を染めるわけがない。そんな声が聞こえてきそうだが、これは十分ありえる。なぜなら、新日鉄が「世界一」となった1970年あたりから、神戸製鋼の「現場」は、日本のものづくりとはやや異なる独特の考え方をもった国の影響をモロに受けていたからだ。

 それは、「ソ連」である。「新日鉄」が「世界一」の座について5ヵ月後、鉄鋼業界に興味深いニュースが流れた。

「神戸製鋼、ソ連から技術導入」(読売新聞1970年7月10日)

 実はこの7年前から神戸製鋼は、ソ連の技術提携公団と、鉄鋼連続鋳造設備の製造・販売についての技術提携を締結していた。連続鋳造とは、転炉や平炉から出てきた溶鉱をそのまま型に流し込むという製法だ。当時はソ連が世界をリードしていて、「画期的な製鉄技術」(読売新聞1963年10月24日)といわれていたものだ。

 そんな新技術をどうにか日本に持ち込めないかと、日本の鉄鋼業界を代表として調査に向かったのが、神戸製鋼の専務取締役だった安並正道氏(後に神鋼商事社長)である。