500年間変わらない
新旧大国の「引くに引けない」力学
アリソンはこの力学を「トゥキディデスの罠」と名づけ、西暦1500年から現在までの間に、この罠にはまった新興国と覇権国の争いを調べ上げた。そして現代の中国とアメリカも、この罠にはまりつつあると警告し、両国が戦争を回避するための処方箋を『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』(原題:Destined for War-Can America and China Escape Thucydides's Trap?)にまとめた。
アリソンがNSCに招かれたのは、この『米中戦争前夜』が、アメリカで発売される直前のこと。ひょっとすると出席者全員にアドバンスコピーが配られたかもしれない。実際、原書は発売とともにベストセラーとなり、国防・外交関係者の必読書となった。また、アマゾンが6月に、「いまのところ今年最高の歴史本」に選ぶなど、歴史書としての評価も抜群だ。グーグル検索では「トゥキディデスの罠」の検索が急増した。
実のところアリソンは、4年以上前から、アメリカと中国がトゥキディデスの罠にはまりつつあると警告してきた。当時のバラク・オバマ大統領と習近平国家主席は、カリフォルニアで初の首脳会談を行った際、この問題をじっくり話し合ったとされる。習近平はその半年後にも、北京の人民大会堂で欧米の記者団に対し、「(米中は)トゥキディデスの罠を避けなければいけない」と、語ったという。
いったい、トゥキディデスの罠の何がそんなに政権当局者に危機感を抱かせるのか。よくある米中戦争論と何が違うのか。それは「罠」という言葉が示すように、この概念は、たとえ国家指導者が戦争を回避したいと考えて、そのための努力をしていても、環境的な要因によって戦争が起こりうると述べていることだ。
たとえば、2500年前のスパルタとアテネは、それぞれ同盟を率いていて、互いがぶつかれば壊滅的な結果になることは明らかだった。それなのに、同盟国のいざこざや、中立国の奪い合い、偶発的な事件、プライドが絡み合い、両国は引くに引けない状況に追い込まれた。慎重論は、お花畑的発想と切り捨てられ、世論は分かりやすい主戦論に傾き、指導者はその圧力に抵抗できなくなった。
アリソンによれば、第一次世界大戦も太平洋戦争も、国益、不安、名誉が絡み合って、新興国と大国がトゥキディデスの罠にはまった例だ。そして現在のアメリカと中国も衝突に向かっており、「数十年以内に米中戦争が起こる可能性は、ただ『ある』というだけでなく、現在考えられているよりも非常に高い」と言う。
米中戦争になれば日本の被害は甚大 今こそ歴史に学ぼう
アリソンがNSCに招かれたのは、トランプ政権中枢がこのリスクを極めて真剣に受け止めている証拠と見ていいだろう。それは私たち日本人にとっても、重大な問題だ。どんな形であれ、アメリカと中国が戦争になれば、日本が甚大な被害を受けることは避けられない。アリソンは本書で、朝鮮半島の混乱を原因とする米中戦争のシナリオを示しているほか、米中戦争を避ける方策の一環として日米同盟の見直しも示唆している。
読書が嫌いなトランプは、トゥキディデスはもちろん、『米中戦争前夜』も読んでいないかもしれない。だが幸い、その安全保障戦略の要には、マクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)とマティス国防長官という、学者並みに歴史に精通した元軍人がいる。彼らは「平和を願うなら、戦争の準備をせよ」という警句を実践しつつ、トゥキディデスの罠に陥らないようリスクを管理しているようだ。
そんななか、私たちが日本を巻き込む大戦争の罠に、無知でいていいはずはない。スペインの詩人ジョージ・サンタヤナは言った。歴史を学ばないために、歴史の過ちを繰り返す者は非難に値する、と。