1970年に始まったナビスコブランドのライセンス契約は、当時はナビスコ社との間で締結されていた。しかし、81年にナビスコ社がスタンダードブランズ社と合併した頃から、相手側に変化が生じてきていたと飯島は振り返る。

「大会名称の変更は無理だろうとあきらめていた」と語るヤマザキビスケットの飯島茂彰社長 Photo by Kazutoshi Sumitomo

 さらに2000年に米国のクラフト・フーズ社と事業統合。2012年には、クラフト・フーズ社が北米以外のスナック事業を分社化し、モンデリーズ社が交渉相手となる。こうした過程の中で、ライセンス契約はその条件が年々厳しくなっていったという。

 この件について飯島は「恥ずかしい話だからそっとしておいてください(笑)」と多くを語りたがらないが、モンデリーズ社の要求は過酷なもので、契約期間の短縮と巨額のライセンス料に加え、最終的には日本における販売権の要求へとエスカレートしたという。つまり飯島の会社は、商品の製造だけを委託される“下請け業者”の立場になることを要求されたのだ。

 飯島は、山崎製パンなどの株主企業の意向も踏まえつつ、最終的にライセンス契約の終了を決断。2016年8月31日をもってナビスコのライセンス契約は満了と決まる。同社は2016年2月12日には、同年9月1日付けで社名もヤマザキビスケットへ変更すると発表することになる。

思い詰めた社長を前に
チェアマンが「変えましょう」

 Jリーグサイドが、ナビスコとの契約満了と、それに伴う社名変更の詳細について理解したのは2016年4月27日のことだった。

「Jリーグに木下由美子という新任理事が加わったので、その紹介ということで飯島さんを訪ねたときのことでした」