――論争と言いますと?

 独房にいますから手紙でのやり取りです。そのなかで、赤軍派自身の総括。(元赤軍派議長の)塩見孝也との論争とか。激しくやりました。

――当時、「総括」を否定する、あるいは加わらないという選択はできなかったのでしょうか。

 私自身はその場にいきなり放り込まれちゃったもんで、できるできないという問題じゃなかった。確かに初めは共産主義化というか、自分たちが抱えている問題を考えて、どう乗り越えるかを考える意味での総括なんだけど。それは別に反対するものでもない。ただああいう風な総括に変わっていくのは想定外だった。自己批判、総合批判と展開。組織と個人の問題じゃないかと思っている。

 当時はああやって激しく行われたわけですけど、現実の、例えば会社の新入社員研修なんかも似たようなことをやっているんじゃないかと思います。むしろ左翼のやり方が会社に持ち込まれたのかな。いずれにしても個人を鍛えるという意味合いで暴力的なことを持ち込むのはある意味、日本的なスタイルでもあるような感じがしないでもない。

――次第に個人の問題になったときに、なぜストップできなかったのか不思議なんですが。

 個人が組織の人間として、個人的考えを持たないようにするっていうね。完全に組織に同化させる。森(恒夫)さんとか永田(洋子)さんが指導的な立場にあったわけだけど、当時の左翼運動がそういうスタイルだったわけですよね。私はそうやって党派に完全に属してしまった人間を党派人間と呼んでいるんだけど。森さん、永田さんは党派の活動でもって、成長してきた人間なんですよね。だからまったくの党派人間そのもの。性格に問題があったとかそういうことではなくて。党派にあまりにも忠実な人間になっていたことが問題であったのではないかと思う。

 彼らは私らみたいな大学闘争の経験はないわけですよね。私らが大学闘争やっているころには、彼らは卒業していましたから。森さんは私らの兄貴と同じぐらい。大先輩だから逆らうなんてとんでもない。おやじさん、とみんなが呼んでいた。