理容室は冬の時代

翌朝、朝食の席でお袋が口を開いた。

「大下さんから、知見(ともみ)さんのこと聞いているけど……」

大下さんというのは、オレが先月まで修業させてもらっていた四谷三丁目にある理容室「オオシタ」の代表でオレの師匠、親父の弟弟子にあたる。

知見は、その「オオシタ」でオレと一緒に働いていた後輩で、周りから結婚することを勧められていた。

「まあ、それが一番いい気がするな。理容室って家族経営がやりやすいから」
親父は新聞から一瞬目を離して言った。

オレはこの家で生まれ育った。

しかも、理容師という仕事が好きだった。

いろんなお客さんがやって来て、いろんな話をしていく。

髪を切られ、姿が変わっていく鏡の中の自分をじっと見つめる人もいる。

疲れて眠り、一時の休息の場にする人もいる。

清々しい表情をしてお金を払う人がいる。

それらの人たちを家族で温かく、丁重に受け入れることを、毎日繰り返す。

そんな理容室が大好きだ。

知見が加わってくれることは大歓迎なのだが、現状のままスタッフ数だけが増える状況は、大変といえば大変だ。

「何とかなるさ」と親父は言った。

たしかに、家族経営の理容室は、収入が少なくても何とか回る。

「でもオレ、繁盛する理容室にしたいんだよ」と気づいたら口から言葉が溢れていた。「お客さんが次から次へと来て、大勢のスタッフで迎えられるような」

「そんな時代でもないけどね」とお袋は言った。

組合の人からも「理容室は冬の時代だよ」とさんざん聞かされていた。

「経営コンサルタントの力を借りたら、うまくいかないかな?」オレは、昨日来た隣の客を思い浮かべながら言った。

「どうだろうね……もともとそんなに大きく儲かる商売じゃないし……でも、業界以外の人の話を聞くのはプラスになると思うよ」と親父は言った。

親父は昔から、新しいことをやってみようという人だったが、「でも、そんなお金ないよ」とも付け加えた。

そのとおりだ。高額の報酬で仕事を受ける経営コンサルタントを雇うなんて不可能だ。

「本を読んでみるよ、昨日買ってきたから」

「そこからだね」と親父は頷いた。