僕らはこうして会社を辞めた

東京R不動産」という不動産サイトは、2003年にスタートした。最初は具体的な事業計画も何もなかった。ちょっとしたアイディアと、その先に広がる可能性への漠としつつも確固たる信念のようなものだけがあった。

 フリーランスのような個人が数人集まってゲリラ的に活動が始まり、半年後にはユーザーの手ごたえをもとに本格的に「仕事」や「組織」としての枠組みをつくり始めた。運営のコアメンバーである3人は、キャリアやキャラクターもバラバラだ。大学の建築学科を卒業しているという共通点はあるが、ゼネコンや設計事務所といった、いわゆる建築業界には就職せず、ちょっと変わった道を選んでいる。

 もしかしたら、建築学科を卒業して建築業界へ就職するという既定路線に学生時代から違和感があったのかもしれない。ただ、建築学科の学生にありがちな、理想の王道を追いかけるということもせず、僕らはもっと現実的な道を選んでいた。吉里はディベロッパーへ、林は経営コンサルティング会社ヘ、馬場は広告代理店へ就職する。

 吉里裕也は学生時代、建築家を志す典型的な建築オタクだった。しかし、卒業を間近に控えた頃、偶然、「ディベロッパー・アーキテクト」というフレーズを目にして人生が大きく変わる。日本語に強引に訳すと「自ら開発する建築家」だが、まったく新しい概念だったのが気になった。既存の建築家の仕事の領域に違和感を感じていたからだ。そして、スペースデザインという不動産開発会社に就職し、そこで彼は典型的なディベロッパーの業務を行うことになる。

 自分で土地を仕入れ、資金調達をし、事業収支を立て、建物を建てて販売したり賃貸したりする。建物の管理や運営までやった。建築家の仕事とはかけ離れているように思われそうだが、その領域の前と後の広がりは、むしろ自分の思い描く建築家の仕事に近いと感じた。そして、設計やデザインとディベロッパー業務までをトータルに、かつコンパクトにやる方法について考え始める。かつてピンときた、ディベロッパー・アーキテクトという仕事のイメージだ。

 しかし、会社の中でそれをやっていくのは何かが難しそうで、妥協も必要になると思えた。「ならば、ノウハウも覚えたし、デザインもやりたいし、自分でやるか」 就職5年目、吉里はそう思い、とりあえず会社を辞めて独立した。ちょうどそのころ、同じ会社で机を並べていた林も、会社を辞めようとしていることがわかる。人生にはそういうタイミングがあるのかもしれない。