【軍事大国の原点】分裂ドイツの混乱で、なぜプロイセンだけが生き残れたのか
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に定評があります。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもあります。

【軍事大国の原点】分裂ドイツの混乱で、なぜプロイセンだけが生き残れたのか?Photo: Adobe Stock

【軍事大国の原点】戦乱の中、なぜプロイセンは生き残れたのか?

 西ヨーロッパ諸国が大航海時代(大交易時代)にいち早く参入したことで、その経済的な影響下に置かれた(「周辺」)東ヨーロッパ諸国でしたが、17世紀より3つの国家が台頭することになります。それがプロイセン、オーストリア、ロシアであり、なかでもプロイセンとロシアは国内の集権化を進め、官僚制や常備軍といったシステムを整備し、頭角を現すことになります。

神聖ローマ帝国の分裂と宗教対立

 プロイセンとオーストリアは、どちらも神聖ローマ帝国の領邦(実質的に自立した諸侯領)に起源をもつ国家です。そもそもドイツでは、中世より神聖ローマ帝国が政治的な分裂の傾向を強め、近世初期の16世紀には、ルターの宗教改革が生じるなど、プロテスタント(新教)が台頭していました。これにより、神聖ローマ帝国はカトリック領邦とプロテスタント領邦の対立が続き、ついに17世紀に大戦争を引き起こします。それが、三十年戦争です(1618~1648)。

ウェストファリア条約と主権国家体制の成立

 名前の通り三十年の長きにわたって続いたこの戦争は、神聖ローマ帝国の内戦に始まり、ついにはスウェーデンやフランスといったヨーロッパ諸外国も巻き込み、国際戦争に発展します。

 1648年に結ばれたウェストファリア条約(ヴェストファーレン条約)をもって三十年戦争は終結し、これによりヨーロッパにおける主権国家体制が確立します。また、ウェストファリア条約では神聖ローマ帝国の領邦がみな完全な主権を手にし、これにより神聖ローマ帝国は集権国家ではなく、国家連合体としての役割が顕著になりました。

バルト海の覇権争いとプロイセンの立ち位置

 なかでも三十年戦争に参戦したスウェーデンは、グスタフ2世アドルフ(在位1611~1632)により軍事大国として台頭し、これにより列強としての地位を確立し、バルト海一帯に大勢力を築きます。このスウェーデンやポーランドの影響から脱しようとしたのが、プロイセンという領邦でした。

 プロイセンはドイツ騎士団邦国とブランデンブルク辺境伯領という、2つの領邦に起源をもつ国家です。ドイツ騎士団は北方十字軍で主導的な役割を担った組織で、中世にバルト海沿岸で広大な領域を有しました。しかし、15世紀初頭にリトアニア・ポーランド連合(ヤギェウォ朝)に屈したことで衰退し、その領域は周辺諸国に分割されます。ドイツ騎士団邦国は北のリヴォニアと南のプロイセンからなりますが、騎士団に残されたのはわずかにプロイセンの東部だけでした。下図を見てください。

【軍事大国の原点】分裂ドイツの混乱で、なぜプロイセンだけが生き残れたのか?出典:地図で学ぶ世界史「再入門」

 この東プロイセンの騎士団領は、16世紀初頭にルター派に改宗し、世俗の公国に生まれ変わります。これ以降は、プロイセン公国と言います。17世紀初頭には、このプロイセンとブランデンブルクをホーエンツォレルン家(元はブランデンブルクを支配した家系)というドイツ領邦の家系が世襲するようになり、17世紀初頭にはブランデンブルク・プロイセンという同君連合が形成されました。下図を見てください。

【軍事大国の原点】分裂ドイツの混乱で、なぜプロイセンだけが生き残れたのか?出典:地図で学ぶ世界史「再入門」

軍事国家プロイセンの完成

 ブランデンブルク・プロイセンは、成立早々に三十年戦争に巻き込まれて荒廃しますが、フリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯(在位1640~1688)の指導により、スウェーデンやポーランドの支配をはねのけ、強国としての地位を確立します。18世紀初頭には、主君であるハプスブルク家(神聖ローマ皇帝)より王号を承認されるという異例の待遇を受け、これによりプロイセン王国が成立したと見なされます。

 プロイセン王国はさらに、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(在位1713~1740)の治世に集権化と軍事増強を進め、続くフリードリヒ2世(大王、在位1740~1786)は積極的な外征によってオーストリアやフランスといった列強諸国と渡り合います。下図を見てください。

【軍事大国の原点】分裂ドイツの混乱で、なぜプロイセンだけが生き残れたのか?出典:地図で学ぶ世界史「再入門」

 大王は、オーストリア継承戦争(1740~1748)に勝利し、七年戦争(1756~1763)を戦い抜いたことで、列強として認められるまでに台頭するのです。

(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』を一部抜粋・編集したものです)