ファイナンス理論の歴史とポイントをまとめた新刊『ファイナンス理論全史』よりその一部をご紹介していく本連載。前回取り上げたランダムウォーク理論は、不遇の数学者バシュリエの時代から半世紀ほども経ってようやくアカデミズムの世界に徐々に受け入れられていきました。それでも、相変わらず投資家や実業界からは強い反発を受け続けます。その両陣営のにらみ合いに決定的とも言える大きなインパクトを与えたのが、1960年代から70年代にかけて、シカゴ大学ブース・ビジネススクール教授のユージン・ファーマが行った研究だったのです。

 ファーマの功績には大きく二つがある。

 一つ目は、相場がランダムウォークとなる背景を説明すると考えられる効率的市場仮説を提唱したこと。二つ目は、実証研究によって、ランダムウォーク理論とその背景にある効率的市場仮説が現実をおおむねうまく説明できると示したこと、だ。

 効率的市場仮説は、なぜ相場がランダムウォークになるのかを説明する。ちょうど水分子の熱運動が花粉微粒子にランダムな動きを与えると説明したアインシュタインと同じことを、金融理論にもち込もうとしたものと言える。ただ、「仮説」と名が付いている通り、厳密に検証されたものではなく、これはあくまでも「仮説」だという点は意識したほうがよい。

 「効率的」という言葉にも少し注釈が必要だろう。

 ここで言う効率的とは、今現在、利用可能な情報が、市場価格にはすでに適正な形で織り込まれているという意味である。理論的には、情報の流通コストがゼロ(つまり情報が広くあまねく瞬時に伝わる)、取引コストがゼロで、かつ大勢の投資家がいて彼らが合理的に行動すると、市場は効率的になると考えられている。

 市場では常に新しい情報が生まれ、そのたびに市場価格は変動する。たとえばトヨタの業績発表が大方の予想より良かったとしよう。その情報はただちに株価に織り込まれる。つまり、トヨタの株価は、新しい情報も加味して、それに見合った水準にまで瞬時に上昇する。このような過程が繰り返されていくのである。そして、その時点くで、利用可能なすべての情報が適正に価格に織り込まれた状態が効率的ということになる。

 情報にはさまざまなものが含まれる。前述の例のような単にトヨタがみずから発表した情報だけとは限らない。実際に市場では公式発表を待つまでもなく、それよりも前に「どうやらトヨタの業績は今まで予想されていたよりも良さそうだ」という見通しが生まれる。それもまた情報だ。

 今の市場価格が、このように利用可能な情報をすべて適切に織り込んだ効率的な価格ならば、次に市場価格が変動するのは誰も知りえなかった新しい情報が生まれたときだけとなる。その新しい情報が、株価を上昇させるものか下落させるものかは前もっては誰にも分からない。要するに、上がるも下がるも五分五分だ。

 したがって花粉微粒子に衝突する水分子の揺らぎと同じように、それは株価にランダムな影響を与えるはずである。こうして、市場が効率的ならば、相場変動はランダムなものになる。このように、効率的な市場では価格がランダムに変動することを証明したのは、ファーマとともに効率的市場仮説の提唱者の一人であるポール・サミュエルソンであった。

ファーマによる市場の効率性に関する3段階の定義

 さて、サミュエルソンらとともに効率的市場仮説を提唱したファーマは、単なる理論家にとどまらず、優れたデータ・サイエンティストでもあった。実際のデータを分析して、効率的市場仮説もしくはランダムウォーク理論をおおむね裏づけると見られる実証研究の結果を、1970年に発表することになるのである。

 それによれば、過去の価格情報や公開情報を使って将来の市場価格を合理的に予測することは不可能であるようだった。つまり、利用可能な情報はかなり迅速に市場価格に織り込まれており、したがって実際の相場変動は、どうやらランダムウォークに非常に近い形で動いていると推測できる。

 ちなみに、このファーマの研究、およびそれに続くさまざまな研究が「市場が完全に効率的である」ことを実証しているわけではない。あくまでも「市場には効率的に情報を織り込む」機能が備わっていることを示しているだけである。

 実際にファーマ自身も、市場の効率性を「ウィーク」「セミストロング」「ストロング」という3段階に分けて定義をしている。現在の価格に、過去の価格情報がすべて織り込まれているのが「ウィーク型」であり、それが成り立っていればテクニカル分析は有効性をもたない。公開情報がすべて織り込まれているのが「セミストロング型」。ファンダメンタルズ分析が意味をもたなくなる。そして、インサイダー情報を含めたすべての情報が織り込まれるのが「ストロング型」である。

 要するに、必ずしもすべての情報に対して完全に効率的であることを想定しているわけではないのだ。実証的にも、完全な効率性を想定する「ストロング」型はほぼ否定されていると見てよい。

予測不能だからといって市場が効率的である証拠にはならない

 また、効率的市場仮説とランダムウォーク理論との関係にも微妙な点が見られる。

 市場が効率的なら、相場変動はランダムウォークとなり予測不能になる。そして、現実の市場はおおむね予測不能だと考えられる。だが、予測不能だからといって市場が効率的である証拠には必ずしもならない。たとえば、すべての投資家がテクニカル分析もファンダメンタルズ分析も一切行わずにサイコロを振って投資していると仮定してみよう。市場価格には何の情報も織り込まれないが、ランダムに変動するので誰にも予測はできない。もちろん、これは極端な仮定だが、市場が効率的であることと、相場変動がランダムで予測不能であることは完全にイコールなわけではないのである。

 そんなあいまいさを残しながらも、次第に効率的市場仮説とランダムウォーク理論は分かちがたく結びつき、やがて反対派を圧倒する力を得始めることになる。本来は、仮説は仮説であり、理論モデルは現実を単純化したものにすぎない。

 だが、議論は独り歩きをする。最初はそうだと分かっていても、次第に「市場は常に完全に効率的である」とか、「相場は100%ランダムウォークなのだから何をやっても無駄だ」という具合に、仮説や理論モデルが常に完全な形で成り立っているかのような議論がまかり通るようになっていくのである。それが、やがて大きな厄災を招くことになるのだが、その話は改めて取り上げることにしよう。

 しかし、効率的市場仮説&ランダムウォーク理論がそのような方向に向かっていったことについては、アンチ派にも責任があるだろう。彼らの反論の多くは感覚的な経験論によるものだったのだ。実証分析を裏づけにもつファーマらの主張に対抗しようとしても、それでは説得力に欠ける。

 いずれにしても、バシュリエから始まったランダムウォーク理論は、長い空白の期間を経て、ついに現代ファイナンス理論の中核的存在となっていったのである。