なるほど、とは思う。
自民党の総裁選は、ニューヨーク・タイムズ紙が「パン食い競走」に例えるほど候補者が――それもタイプさまざまな――出揃って、観客も沸いている。一着を手にした者が、その勢いに乗って総選挙に打って出たほうが、確かに、福田康夫・現首相が主導するよりも、自民党にとってはよほど期待が持てるであろう。
だが、一国の指導者が、あらゆる政治的課題、経済的問題、国際的難題をわきに押しやって、自分が所属する政党の利害だけを優先して首相の座を辞任するなど、他国ではありえるのだろうか。体の芯が萎える思いがするのは、わたしだけだろうか。
一方、野党に目を転じれば、民主党の代表選は候補者ただ一人の独走状態で、小沢一郎代表の無投票三選が決まった。となれば、政権を奪取すべく、政策を練る時間はたっぷりとあったはずである。
だが、発表された基本政策は、あまりに安直である。子ども一人当たりつき2万6000円の手当て創設、ガソリンの暫定税率廃止、農業に漁業も加えた個別所得保証…。民主党にとって、すべての有権者は飴玉をねだる子どもなのだろうか。しかも、18兆円以上は必要だといわれる必要な財源は示されていない。不真面目、不誠実極まりない。
民主党の政権担当能力を疑わざるを得ない事象は、「ねじれ国会」のなかでたびたび発生した。そのなかで、私は、多くの有権者、もしかしたら当事者たちも忘れてしまったかもしれないある案件を、重く考えている。
先の通常国会の終盤、日本銀行政策委員会審議委員の候補として、池尾和人・慶應義塾大学教授が提示された。だが、参議院での同意人事に関する採決が見送られ、29年ぶりの審議未了、つまり、国会同意は得られなかった。