保守的な組織になると、いまだに部下が上司にお歳暮を贈るなんて話をよく聞きますが、私の感覚ではそんなものはもってのほかです。給料の高い人が「ありがとう」と言って何かを贈るのならまだしも、給料の安い人が高い人に「お世話になりました」なんてさらに不合理です。

 ちなみに、私は「年賀状を送るのもやめよう」と大々的に宣言していました。年末の忙しい最中、みんなギリギリまで働いているのに、そのわずかな時間を使って上司に年賀状を書くなんて、考えただけで可哀想で泣けてきます。そんなことをするくらいなら、少しでも休んでほしいし、自分の好きなことをしてほしいと思います。

 そういったちょっとしたところからも「役割の差による呪い」は蔓延していくのです。

「女性社員がお茶を入れる」会社って

 最後の三つ目は「性差の呪い」です。

 USJを辞めた後、様々な会社からご相談を受けて、私は何十ものケースを比較的深く見る機会をいただきました。その中には、このご時世にあっても、今なお「女性社員が男性社員の召使い」であるかのような刷り込みをやっている会社が少なからずあります。誰かに特定の悪意があるわけではなく、昔からそうやってきたので、特に疑問に思う人は少ないようです。

 総合職で男性と同じような役割を期待されて入っているのに、男性社員のお茶を淹れるのは女性となぜか決まっていたり、上司がコピーなどの雑用をお願いするときは、ほぼ女性社員に依頼したりするなど「性差の呪い」はいろんなところに残っています。

 実際、私は自分の秘書にお茶を淹れさせたことはありません。なぜなら、彼女は「私のお茶を淹れる」という役割を期待されて入ったのではなく、私という1個の細胞を、いかに活躍させ、企業に貢献させるかを考え、スケジュールを含めたさまざまな調整をするのが仕事だからです。そのような相手に対して、「お茶を淹れてもらう」時間があるならば、もっと他に頼みたいことが山ほどあります。