美は乱調にあり、って言いますよね。そうだと思いますか?
「美は乱調にあり」といえば、瀬戸内晴美(現・寂聴)のベストセラー小説のタイトルでもあります。伊藤野枝という一人の女性が福島から上京。奔放に生き、雑誌「青鞜」の編集長になる。無政府主義者・大杉栄の内縁の妻となって、甘粕事件で大杉とともに獄中で亡くなる。大正デモクラシーの時代のそんな女性の生涯を綴っています。
そのタイトルは、大杉栄の「生の拡充」という小論の中の文節に由来します。曰く「この反逆とこの破壊との中にのみ、今日至上の美を見る……諧調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。諧調は偽りである。」
実は、英国の哲学者フランシス・ベーコンも、「随想集(1597年)」の中で、同趣旨を述べています。理想的な黄金率は美しすぎ近寄りがたく魅力がない。ちょっと乱れたり、歪んだり、傾いたりしているところにこそ、本当の美しさがある、と。
この論法には、ひとつの疑問が湧きます。それは、どの程度乱れると美しいのか? ということです。 全く乱れが無ければ、それは大杉栄の「諧調」だし、フランシス・ベーコンの「黄金率」であって、それは、真の美ではないのでしょう。
でも、だからと言って、乱れれば、乱れるほど、美しくなるのですか? と、問われれば、答は、どう考えても否ですね。
だから、時には激しく、時には微妙に乱れ、その乱れが、心を掻き毟(むし)って、人は美しさを感じるのでしょう。絵でも写真でも文学でも書でも。どれだけ乱れるかは、その人なりの生き方や性格、個性、さらには、戦略的な計算が潜んだりするのでしょう。素敵に乱れれば、素敵な美が出来上がるということでしょうか。
で、今週の音盤は、カーペンターズ。最大のヒット曲「イエスタデイ・ワンス・モア」を収録したアルバム「ナウ・アンド・ゼン」です(写真)。