2014年「新・風土記」出雲大社奉納、2015年「天地の守護獣」大英博物館日本館永久展示、「遺跡の門番」クリスティーズに出品・落札。2016年「The Origin of Life」4ワールドトレードセンター常設展示…。競争が激しいアートの世界で、なぜ、いま小松美羽が評価を集めているのか?その理由を、話題の新刊『世界のなかで自分の役割を見つけること』の内容からお伝えしていく。
アートは魂でつながるための道具
現代アーティスト。1984年、長野県坂城町生まれ。銅版画やアクリル画、焼き物への絵付けなど幅広い制作スタイルから、死とそれを取り巻く神々、神獣、もののけを力強く表現している。2014年、出雲大社へ「新・風土記」を奉納。2015年、「天地の守護獣」の大英博物館日本館永久展示が決まる。2016年より「The Origin of Life」が4ワールドトレードセンターに常設展示される。2017年には、劇中画を手掛けた映画「花戦さ」が公開されたほか、SONY「Xperia」のテレビコマーシャルに出演。
私たちは、言葉を使って暮らしている。
気持ち良い朝に、元気を出したい朝に、「おはよう」と言う。
嬉しくて、感謝して、「ありがとう」と言う。
大切な人に、愛する人に、言葉を使って想いを伝える。
誤解によって壊れかけた絆をつなぎとめたくて、泣きながら、必死で、さまざまな言葉を尽くす。言葉によって、気持ちが伝わることもたくさんある。 だから私たちは日々、話しているのだし、私は今、こうして言葉で伝えている。
それでも言葉は、完璧な道具じゃない。
どんな言葉でも伝わらない想いもあるし、ちょっとした言い回しで、心がすれ違ってしまうこともある。これは悲しいことだろうか?
私はそうは思わない。
言葉は一つの道具にすぎず、人と人がつながる道具は他にもある。こんなふうに考えれば、言葉以外のつながる道具も使ってみようという気持ちになれる。
私は絵を描くとき、筆だけでなくときには手も使う。絵の具のチューブから直塗りすることもある。たくさんの道具があったほうが、もっと描きたいものが描けるからだ。
それと同じでつながる道具もたくさんあったほうが、より深く、より強く、つながれるはずだ。
人と人。魂と魂。天と地。あの世とこの世。異なるもの同士がつながるための、言葉以外のコミュニケーションツールは確かにある。そして、アートもコミュニケーションツールであると、私は信じている。
アートとは、限られた人だけが楽しむ特別なものではない。誰にとっても必要で、誰もの魂を癒し、生命が魂でつながるための「道具」だ。どこの国のどんな人とも、言葉に関係なくつながれる瞬間がある。文化、性別や年齢といった属性を超えて、人と人、魂と魂はつながることができる。
私はそんな瞬間を体験している。アートで人がつながる瞬間。
たとえば、2017年6月、東京・紀尾井カンファレンスで行われた個展「神獣 ~エリア21~」には大勢の人が足を運んでくれた。
アートが好きな人、絵に関心がある人も、もちろん大勢いたけれど、それだけでは九日間で三万人という来場者数にはならないと思う。
休日に遊びにきたついでだという若い人、近所に住む年配の人、子どもを連れた家族。「うちの子も絵の道に進みたいと言っているから見にきてみた」と話す、お母さんと高校生。
さまざまな人が、私が描く神獣を通じて、自分の魂と、あるいは大切な誰かの魂と、つながりを持ってくださった。
2014年に出雲大社に奉納した「新・風土記」に描いた目の部分には、パワーストーンとして星の形にカットされたダイヤモンドを埋め込んだ。
それは、出雲という土地のパワーに包まれながら、作品と宇宙をつなげるためだった。あの絵が出雲の地で役割を持ち、さまざまな人々とのつながりを持てたことに感謝している。
日本ばかりではない。イギリス、フランス、ニューヨーク、香港、台湾、シンガポール。
私はさまざまな土地で、つなげるためのアートを発表してきた。
いにしえから伝わる、その土地の人々の祈りの色を作品として描き出すと、それを見てくださった人の魂が共鳴する。そうすると、私は温かい色のエネルギーを受け取り、次の作品を描くことができる。この繰り返しが、今の自分につながっている気がする。
2016年はニューヨークの日本クラブで、観客の前で作品を一から仕上げるライブペイントを行ったのだが、その絵画が平和の象徴として4ワールドトレードセンターに所蔵された。
それもアートには、傷ついた人と人の心をつなげる力があり、そしてそれは薬のように作用するからだと思う。
作品を前に、言葉はいらない。
見るだけ。感じるだけ。思うだけ。
魂だけで、まっさらの存在として向き合う。
文化が違っても、言葉が違っても、同じだ。
年若くあっても、年老いていても、男であっても、女であっても、同じだ。魂であるという意味で、私たちはみな同じものだ。
絵をきっかけとして、魂と魂が共鳴し合う場をつくる。それも自分の役割だと思っている。