再上場も視野に入ったスカイマーク社長が語る「経営再建の鉄則」クレジット:Photo by Yoshihisa Wada


スカイマークの再建社長に就任し、2年足らずで大きな成果を導いた市江正彦社長。日本政策投資銀行時代の事業構造改革への取り組みやスカイマーク再建への思いを聞いた。(聞き手/「ダイヤモンド・オンライン」編集長 深澤 献)

「通産省に1年間出入り禁止」の過去

――連載で述べられていましたが、大学から日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に入行されて、プロジェクトファイナンスや事業再生などの新しい事業を構築されています。バンカーとしてはかなり異質ですね。

市江 アメリカ留学でベンチャーキャピタルの存在を知り、帰国後に徹底的に調べて事業プランを練りました。1995年ごろのことだったと思います。

 まずベンチャー向けの融資制度をつくり、翌年にベンチャーキャピタルを立ち上げることになりました。ただ、これは政治的には面倒臭い部分がありましたね。当時、霞が関には通商産業省(現・経済産業省)版や郵政省(現・総務省)版などの官製ファンドが既にありました。それぞれの所管業種ごと(製造業、情報通信、バイオなど)に複数設立されていました。経営陣にも官庁出身者が多く、なかなかうまくいっていなかったのですが、運営は金融経験者中心、かつ、業種横断的に新しいベンチャーキャピタルを作ろうとしても反対も予想されました。

 開発銀行は、大蔵省(現・財務省)と通産省の両方にお伺いをたてなければならないのですが、まず、通産官僚で当時、法令審査員という重要な役目を担っていた知人に相談したところ、「通産省はすでに官製ファンドを持っているから正面切って相談したら反対される。黙ってやった方がいいよ」とアドバイスされたのです。

――それが、連載にあった「通産省に1年間出入り禁止」になったきっかけですか。

市江 そうです。通産省の担当課に黙っていて、「いつの間にかできていました」という風にしようとしたら日経新聞にすっぱ抜かれて通産省に呼びつけられたのです。「なんですか、これは!」と詰問されて、正直に「貴省の有力者の方に個人的に相談してそうしました」と言えばよかったのを、その方に迷惑をかけてもいけないと思い、「報道は間違いです」と言ってしまった。

 当然、嘘はバレますね。それで通産省の担当官は激怒して、「開発銀行の市江は1年間、出入り禁止」となった次第なのです。