この遺言からは、若くして亡くなった直政の無念な気持ちが見て取れます。徳川家康公のためにもう少し働きたかったという想いと、もし自分の寿命が尽きてしまうのならば、自分の役割を息子たちに託したいという想いが伝わってきます。

 実際の遺言は、NHKの「英雄たちの選択」という番組で見ることができます。遺言の文字は全体的に歪んでいて、震えているように見えます。それは、家臣に支えられながら書いたからだと言われます。とても遺言を書けるような状態ではなかったものの、気力を振り絞って書いたのです。「ふたりの息子にどうしてもこれだけは伝えておきたい」という強い気持ちを感じます。

 また、この遺言からは、何事においても即断即決で実行する行動派でありながら、事の成否であろうと、人物の見極めであろうと、その本質に関しては実践を通じて軌道修正していけばよいという実務家の一面が垣間見られます。緻密な分析力と交渉力、そして調整能力をも併せ持った卓越した知性を感じることができるでしょう。

 この「井伊直政の遺言力」によって、この世から戦をなくしたいという直政の想いは、江戸の世で実現されることとなったのです。

 徳川家康に「開国の元勲」と称えられ、その功臣の証により、直政亡き後も井伊家は重用され、徳川譜代筆頭の家臣となりました。彦根藩は江戸時代の大老総勢10人のうち、井伊直弼を含めて5人も輩出し、明治時代になるまで260年にわたって江戸幕府を支え続けることになったのです。

 自らの生き様や想いを遺し、大切な息子たちに伝えるという「遺言の本質」を井伊直政は実践しました。

 そのスピリットは現代の遺言にも生き続けていると私は思うのです。