「なんでもいい。温かいものだったら」
「いつからあそこに立っていた」
「そんなに長い時間じゃない。たぶん、3時間くらい」
高脇の時間の感覚は一般人とは違っている。すぐに自分の世界に入ることができ、時間の流れなど忘れることができるのだ。
高脇はしゃべりながら両手をこすり合わせ、息を吹きかけている。そして、震える手でカバンからノートパソコンを取り出した。
「誰かに伝えなきゃと思って。これは冗談なんかじゃない」
そう言ってパソコンを立ち上げ、森嶋が聞いているのを確かめてから説明を始めた。
ディスプレイには関東地方全域が示されている。
森嶋には聞いたこともない数式とデータを見せながら、かなり長くて難解な説明を終えた。
「東日本大震災を引き起こした東北太平洋沖地震の影響で、日本列島の下のプレートがかなりグシャグシャになったんだ。東北太平洋沖の海溝付近の断層が、50メートルもずれ動いたんだからな。その結果、東京直下型地震の起こる時期がかなり早まった」
「30年以内におこる可能性が75パーセントだったんだろ。これは政府の中央防災会議の公式発表だ」
「5年以内、90パーセントに高まった。もっと高くなるかも知れない。マグニチュードは8を超える可能性がある」
森嶋はどういう反応をすればいいか分からなかった。マグニチュード8というと、阪神・淡路大震災以上だ。
「危険だとは思わないのか」
黙ってディスプレイを見ていると高脇が言った。
「思うが、どうすればいいんだ」
「誰かに知らせなきゃ。何とかしないと、また同じことが起こる」
森嶋は、高脇の両親が先の大震災で亡くなったことを思い出した。
アメリカに留学する前、高校時代の友人の集まりで聞かされたのだ。そのとき、高脇は欠席していた。
「これを俺にどうしろというんだ」
「僕たちは出来るだけ早い機会に発表する。しかし、いくら急いでも来年の春以降になる」
「マスコミを集めて記者会見を開けばいいんじゃないのか」
「そんなことをやる度胸のある研究者なんていない。所長は他の研究機関と協議することを決定した。これから検証作業に入って、さらに真偽を確かめる。それから論文に仕上げて雑誌に送る。場合によっては、マスコミに発表する」
「気が長いな。地震の方が先に来る可能性があるだろう」
「だからここに来た。きみなら、なにかいい方法を知っているかもしれないと思って」
「俺なんてなんの力もない。ただの公務員だ」
「キャリア官僚だ。政府の高官や政治家を知ってるだろ」
「上司はまともに聞いてはくれないだろうし、政治家は票になることしか動かない」