翌朝、森嶋は上司の山根課長補佐のところに行った。
高脇の置いていったデータをプリントアウトした用紙のファイルを山根に見せた。
「東京直下型地震のここ5年以内の発生確率が90パーセントに上がったと言うんだな」
国土交通省、総合政策局政策課、山根課長補佐は、ファイルから顔を上げて森嶋を見つめた。
「東都大学理学部地震研究所の高脇准教授が、私に伝えてきました」
「なぜきみになんだ」
「彼は高校時代のクラスメートでした」
「これをどうしろと言うんだね」
昨夜、森嶋が高脇に答えたのと同じ言葉だ。
「分からないから課長補佐に相談しました。一度会って、話を聞いてもらえませんか」
「地震発生確率の話なら文部科学省か防災大臣だろ。総務省も関係しているか。なんで国交省なんだ」
「彼も持って行き場がなくて、私のところにきました」
「そういうのは、学会で発表して信憑性がはっきりすれば、マスコミが黙っていないだろう。そうなれば、我々も扱いようがある」
「その前に、こういうデータもあるとマスコミ発表しておいた方が得策とは思いませんか。後で発表ってことになれば、また役所の隠蔽体質だなんて言われます」
「間違っていたらどうなる。もの笑いもいいとこだ。いまだ、東日本大震災の復興が軌道に乗っていないと言うのに」
「彼もこれから検証作業に入ると言ってました」
たしかにその通りだ。よけいな恐怖をあおり、下手をすればパニックが起こる。自分がその片棒を担いだとなれば――。考えたくもなかった。しかし、高脇の姿と声には無視できない迫力と悲愴さがあった。
言っている言葉に反して山根も気になるらしく、書類に目を止めたまま考え込んでいる。
「東日本大震災を引き起こした東北太平洋沖地震は、巨大津波を引き起こしただけじゃないと言うんだな」
「あの海域は太平洋プレートが北米プレートの下に潜り込んでいます。その太平洋プレートが跳ね返って、地震と津波が起こりました。跳ね返りのエネルギーがあまりに巨大だったので、日本中の地殻に大なり小なり影響を及ぼしたそうです。その影響であの地震後、東日本を中心に、余震以外に大小様々な地震が起きています」
私は高脇の言葉を思い出しながら説明した。たしかにその通りだ。
あの2011年、3月11日以降、日本人は地震に対して敏感になった。
しかし、一年もすれば余震で慣らされ、以後の地震に対してもさほど関心を払わなくなった。
デスクの電話が鳴り始めた。
「心に留めておこう。進展があったら伝えてくれ」
そう言って、山根は森嶋に仕事に戻るよう目で合図を送ると、受話器を取った。
森嶋は頭を下げてデスクを離れた。
山根は好意的な言葉を使っていたが、腹の中は分からない。おそらく森嶋の評価は下がったはずだ。
その日、一日、森嶋は憂鬱な日をすごした。
留学の報告書を書いていたが、頭の中には高脇と山根の顔と言葉がちらついていた。
高脇を呪ってみたが、やはり悪いのは上司に相談した自分だ。
しかし、昨夜の高脇の鬼気迫る顔と彼の両親のことを思うと、そうせざるを得なかったのだ。
(つづく)
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