一方、自らの権利を自らの行動で守ろうとする意識は、民衆レベルで見るとまだ薄すぎるほど薄い。民衆の代弁者となるべき知識人の多くも、権力の前に委縮している。こうしたジレンマ的な矛盾を感じた著者は、中国国民に広く見られるその精神状態を「憂鬱」という言葉を使って表現している。その心的病気を「国民的悪根性」と罵倒する。

 梁氏は北京市政治協商委員会の委員も務めており、本書における彼の鋭い指摘あるいは作家としての発言は、さらに考えさせられる。政治協商委員会委員のことを「政治の観察者」と位置付けた彼は、その役目を果たそうとして、本書を書いたのではないか、と思う。

 海外の社会制度や価値観に対して、やや評価しすぎる嫌いもあるが、その目は青年に負けないほどの純粋さを保っていると感じる。梁氏の初期時代の作品が犠牲精神に満ちたロマン主義的色彩が濃いものだとするなら、中期の作品は逆に一変して、怒れる青年の活写となっていた。今の作品はむしろ批判の矛先を社会問題に向けるだけではなく、こうした問題の解決に何が必要なのかと、その処方箋を模索している。

 これからの30年は、「中国は単なる巨大な経済体だけではない。経済以外にもやらなければならないこともたくさんある」ということに、より多くの中国人が気付くだろう、と梁氏はそう期待している。

 経済書と見られる『インドvs.中国』と経済からはやや遠いところにある評論集『郁悶的中国人』。内容と立場がそれぞれ違うが、進出先の選択肢の研究と巨大な市場になりつつある今日の中国を見つめるには、読み応えのある2冊である。