一意専心の美意識はイノベーションに通じる

 限られた分野で事業を行っている一般的な企業体の成り立ちや目的は、もちろんSRIとはまったく異なる。本書が提示する方法論はきわめて理解しやすいものではあるが、長い時間をかけた試行錯誤の経験を凝縮した「たたき上げ」のそれであるだけに、すぐに応用して成果を出すのは簡単ではない。

 しかし、コンセプトから始まるストーリーの構想がイノベーション・マネジメントの本質であるという本書のメッセージは、日本企業に対してポジティブなメッセージを投げかけているようにも思う。

 日本企業に独自の強みがあるとすれば、「一意専心」に励む姿勢だ。先端的な金融機関や事業経営でも、今日のGEが得意とするような「ポートフォリオ」の最適化でパフォーマンスを出していくやり方は日本企業が苦手としてきたところである。しかし、この裏返しで、特定の事業領域に長期的に専念し、そこを深掘りして事業を開花させることを良しとする美意識を、日本社会は共有している。この傾向は、深い洞察を込めたコンセプトを起点にストーリーを構想し、イノベーションを実現するという本書の方法論を実践するうえで追い風となるだろう。

「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず」というポピュラーなことわざがある。この言葉は中国の荘子が伝えた言葉で、原典は秋水篇にある寓話がもとになっているという。井戸のふちに足をかけていた蛙が、海に住む亀にこう言った。「僕はこの古井戸に住みながら青空を眺めている。君も入ってみなよ」。しかし亀は「井戸の外には君の知らない大きな大きな海があるんだ。私は狭い井戸になんか入りたくないよ」と返した。

 蛙は自分の知らない世界があることに驚き、亀は蛙の知る世界の狭さにあきれた、という話である。狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らない。狭い知識にとらわれて大局的な判断のできない状態のたとえとして、このところ日本企業の内向きの姿勢を批判する決まり文句になっている。

 このことわざに、続きがあることをご存じだろうか。

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る」。ここには、一つの世界にとどまることで、その世界をより深掘りし、独自の洞察を得ることができるという意味が込められている。おもしろいのは、これが日本バージョンである点だ。中国発のオリジナル版が日本に来て、「されど空の深さを知る」というオチが新たに付加されたという。ここにも「一意専心」「たたき上げ」の思想が感じられる。