振り返ってみると、80年代半ばに自社開発した「スマンクス」という抗がん剤がヒットしたことで、どんどん借金を返す一方で自己資本比率を高めていくという方向に転換できたことがきっかけでした。以降は、少しずつ財務体質が改善できたことで、さまざまな取り組みをしてきました。その後、2000年代の半ばからは各事業の実態や将来性を精査する指標(仕組み)を取り入れ、必要に応じて事業ポートフォリオの中身を大胆に入れ替えてきた。

 最も大きな変化は業態転換です。クラレは1926年(大正15年)に人造絹糸のレーヨンを製造・販売することを目的に設立されましたが、2001年に祖業のレーヨンからは撤退しています。私が入社した81年度の売上高に占める繊維事業の比率は84%で非繊維事業は16%でしたが、2017年度は繊維事業が17%で非繊維事業が83%と逆転しています。70年代後半の合繊不況後に、3年ぶりの新卒社員として入社したのは繊維が主体のメーカーでしたが、38年後の今日では化学が主体のメーカーに変わっています。実際、10年前の07年の秋には東京証券取引所の業種分類も繊維製品から化学に変更されました。

 とはいえ、非繊維事業では、撤退した例も数多くあります。88年に新規参入したオプトスクリーン(背面投射型テレビに使う主要部材)は、米国で大きな成長が期待されていたにもかかわらず、02年に利益がピークを迎えて04年には赤字転落しました。そこで、06年には早々と撤退を決断しました。これは、数ある撤退事例の中で最もうまくいったものの1つだったと思います。

 財務体質の良さは、先輩たちの努力の積み重ねの結果です。近年のクラレは、自らその好イメージに乗っかってきました。今となっては「(財務体質が良いという)看板をなかなか下ろせない」という新たな悩みもあります(苦笑)。

創業より続く精神は
世界に発信していく

――ところで、2月の平昌オリンピック(第23回オリンピック冬季競技大会)では、クラレのスキー部に所属する高梨沙羅選手が銅メダルを獲得しました。伊藤社長は、あの瞬間をどのような状況で迎えたのですか。

 あの日は3連休で会社は休みでしたが、全国各地の事業所では大型テレビを出して皆で応援していました。私も「来てくれ」と言われていましたが、もらい泣きしてしまう性質なので、あえて自宅でテレビ観戦しました(笑)。