「新リーダー」は争いを
中和する存在でなければならなかった

「監督の評価基準」の(3)は、組織の意思決定に携わる個々の人々の人間関係やパワーバランスが意思決定に影響を及ぼすという話である。

 組織の中には往々にして、出身校、出身事業部などによる複数のグループがあって、クロスオーバーしているものだ。特に公益財団法人であるサッカー協会は会長を選挙で決めるので、選挙に伴ってグループ化が強化、促進されがちな状況にある。

 実のところハリル氏は、現会長の体制下で選ばれたわけではない。現会長とはグループが異なると考えられる前会長体制下での決定である。

 自分が選んだ、あるいは自分たちのグループが選んだ監督で、ワールドカップで負けたなら、まだ諦めはつくだろう。しかし、他人や他のグループが選んだ人選に満足しておらず、しかも仮に負けてしまったらどうだろうか。何も手を打たなかったと批判された上、責任を負わされたら割に合わないと思うのは、至極自然である。

 このような状況下においての次期監督としては、別のグループが推す人ではなく、かつ、自分たちのグループの直系なり、「子飼い」というわけでもなく、もちろん自分たちのグループからは反対が出ない人。つまりどちらの陣営の顔もなんとか立ち、内部的に、「あの人にはいつか監督をさせてあげたい」と思う人がいるような場合は、その人に決めておけば、内部の軋轢は最小限に抑えられる。 

 おそらく西野氏はその意味で、内部的に誰しもが納得できる人材だったのだろう。

 かくのごとく、監督交代の陰には、意思決定、評価基準など、企業や多くの組織にも共通のテーマを見出すことができて大変興味深い。

 推測だが、ハリル監督は代表の商業的価値や、協会の体制といったことには煩わされることなく、W杯の出場と本選での成果だけに集中してもらってよいという手形を当初もらっていたのではないかと思う。しかし、そのお墨付きを出した人が執行部から去ってしまえば、容易に空手形になりかねない。そうならないためにも、巧みに政治力を発揮し、自分の仕事をしやすい環境を作るのも監督の仕事なのだ。

 ビジネス界においても同様である。子会社や事業部、現地法人を任された経営幹部の中には、体制が変わって「はしごを外された」という不満を言う人も多いが、「はしごを外されないようにする」努力をしなくてはならないのだ。残念ながら、その活動の跡が露ほどもみえないハリル氏は「一流の戦術家」ではあっても「一流の監督」とは言えなかったのではないだろうか。