新刊『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』の刊行を記念して、著者・朝倉祐介さんと経営学者である一橋大学教授・楠木建さんの対談をお送りします。この後編では、長期・未来志向のファイナンス思考がなぜ今の日本企業に必要か、そして若い人にこそファイナンス思考を身につけるメリットがある理由を探っていきます。

ファイナンス思考は「若者のよりどころ」である=楠木建×朝倉祐介<特別対談 後編>楠木建(くすのき・けん)プロフィール
一橋大学大学院経営管理研究科教授
専攻は競争戦略。大学院での講義科目はStrategy。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授(2000)などを経て、2010年から現職。 著書として『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)、Dynamics of Knowledge, Corporate Systems and Innovation (2010, Springer, 共著)、『知識とイノベーション』(2001、東洋経済新報社、共著)、Technology and Innovation in Japan: Policy and Management for the Twenty-First Century (1998、Routledge、共著)、Innovation in Japan (1997、Oxford University Press、共著)など多数。 趣味は音楽(聴く、演奏する、踊る)。1964年東京都目黒区生まれ。(写真:野中麻実子)

楠木建さん(以下、楠木) 僕が専門とする競争戦略の主体は「事業」なんです。だから、議論の主語は常に「事業経営者」です。一方で、コーポレート・ファイナンスの場合は、主語が(全事業を束ねる)「本社の経営者」ですよね。日本の既成大企業には傾向として2つの相互に異なる、しかし密接に絡み合っている問題があると考えます。

 第一は事業経営者の層の薄さ。構想、戦略がない事業経営者が実に多い。「お金があれば、もっとこんなことができるのに」というのが、健全なビジネスの状態なのに、肝心のやりたいことがない。第二に、ファイナンス思考とも関連する問題として、仮に事業構想をもった事業経営者がいたとしても、コーポレートがそれをきちんと判断して投資するキャピタル・プロバイダーになれていない。日本の企業の内部留保が異常に多いのは、そのひとつの現れです。

朝倉祐介さん(以下、朝倉) どうしても大企業だと、事業部門が新しいビジネスの構想をもっていないとか、もっていても、コーポレート部門がそれに思い切って投資をできない、といったことが起こりやすいですよね。

ファイナンス思考は「若者のよりどころ」である=楠木建×朝倉祐介<特別対談 後編>朝倉祐介(あさくら・ゆうすけ)プロフィール
シニフィアン株式会社共同代表
競馬騎手養成学校、競走馬の育成業務を経て東京大学法学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。東京大学在学中に設立したネイキッドテクノロジーに復帰、代表に就任。ミクシィ社への売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。株式会社セプテーニ・ホールディングス社外取締役。Tokyo Founders Fundパートナー。2017年、シニフィアン株式会社を設立し、現任。兵庫県西宮市出身。

楠木 事業のアイデアがない事業経営者が、大企業で単線的にキャリアアップしてコーポレートレベルの担当者や代表取締役になって……という悪循環が生まれる。
 ちなみに、リーマンショック以降、世界的には内部留保を積みます傾向にある。アメリカやイギリスの企業はそれまでスッカラカンでしたから、これは自然な傾向です。唯一、上場企業の内部留保が減っている国というのはドイツなんです。

 というのも、ドイツは国策としてグリーンテックとか、インダストリー4.0とか、国が投資テーマをどんどん出してくる。ドイツに学べという人もいますけど、本来、企業の投資というのは個別企業の意思として行われるべきだというのが僕の意見です。一方の日本企業には、内部留保が多いと批判されると、じゃあ配当しましょう、自社株買いをしましょうという目先の株主還元策に流れる会社が少なくない。そんなのは当座の撒き餌でしかないですよね。ファイナンス思考がないから出てくる発想であって、企業成長のネックになっているとも思います。

経営陣が「せざるを得ない」なんて言ったら商売は終わりだ

朝倉 場当たり的というか、受け身な姿勢が目立ちますね。コーポレート・ガバナンスの議論で思うのは、たとえば「伊藤レポート」(伊藤邦雄・一橋大学教授を座長とする経済産業省『持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築』プロジェクト最終報告書)などを読んでいても、コーポレート・ガバナンスというのは別に守り一辺倒ではないはずです。もっと会社が成長するために規律を効かせるべきという主旨だと理解しているんですが、どうも日本全般で語られるコーポレート・ガバナンスというのは、経営者が悪いことをしていないか、株主の利益と相反することをしていないかモニタリングしましょう、という点ばかりに集中しているように思えます。

 でも、僕はコーポレート・ガバナンスのあるべき姿というのは、より積極的なものととらえています。株主の言うことに受け身で唯々諾々(いいだくだく)と従うだけでなく、「経営陣はこういう戦略を実行しようと考えているから、株主の皆さん付いてきてください」と説得し、もしこの方針が違うと思うなら投資しないほうがいいかもしれません、と言い切るぐらいの姿勢がないといけないと思うんです。

楠木 まったく賛成です。つまり、ビジネスの原理原則は、「自由意思」だということです。ファイナンス思考とは本質的に未来に対する意思表明です。ビジネスの根幹的な原理原則を体現している。
 裏を返せば、ファイナンス思考が弱いというのは、ビジネスの本当のよりどころである自由意志が希薄になっている証です。経営陣が受け身になって「しなきゃいけない」「せざるを得ない」なんて言い出したら、商売おしまい。「誰も頼んでないですよ」って話です。だから、本来の自由意思を取り戻す点でも、僕はファイナンス思考には意味があると思います。