プルデンシャル生命2000人中1位の成績をおさめ「伝説のトップ営業」と呼ばれる川田修氏が、あらゆる仕事に通ずる「リピート」と「紹介」を生む法則を解き明かし、発売たちまち重版が決まった話題の新刊『だから、また行きたくなる。』

この記事では、本書の「あとがきにかえて」に記された、川田氏が取り組んだ障がい者雇用のエピソードを特別掲載する。(構成:今野良介)

「高次脳機能障害」の女性をアシスタントに迎えた

私のところで5年間、一緒に仕事をしてくれたアシスタントの安田靖子さんが、会社の朝会で、退職のあいさつとして、みんなの前で話してくれました。

「川田さんのアシスタントとして働き始めた5年前の年末に、毎月買っている雑誌の占いを見ていたら、『来年から数年は人の手助けに奔走することになります。それはその人のためですが、その経験が今まで知りえなかった素晴らしい世界にあなたを連れて行ってくれるでしょう』と書いてありました。その時は、川田さんと一緒に働くことを言っているのかなと思いましたが、今振り返ってみると、それは居村さんと仕事をすることだったのだと思います」

個人事業主である私のアシスタントとして、安田さんが一緒に仕事をするようになってまだ4ヵ月くらいしか経っていない頃に、「知的障がいの人を第二アシスタントとして雇用したい」と、私が突然言い出しました。

なぜそのようなことを思ったかを、ここでは詳しくは述べませんが、当時、私の人生に大きな影響を与える出会いがいくつかありました。

昔も今も変わらず尊敬している情熱家である株式会社アイエスエフネット代表の渡邉幸義さん、「日本一明るい視覚障がい者」と名刺に入れているNPO法人FDAの理事長の成澤俊輔さん、人を大切にする経営学会の発起人、元法政大学大学院教授の坂本光司先生。そんな人たちとの出会いから、私は、「障がい者雇用」という新たな挑戦をすることにしました。

そして、前出の渡邉社長のご協力で、居村由貴さんという、高次脳機能障害という知的障がいの23歳の女性と一緒に働くことになりました。

後で教えてもらった話ですが、渡邉社長の周りの人たち全員が「高次脳機能障害の人はいくらなんでも無理ではないか」と反対されたそうです。しかし、渡邉社長が「不可能と思われることをするから意味がある」と言って、居村さんは、私と安田さんと一緒に働くことになりました。高次脳機能障害というのは、そのくらい重い障がいとして認識されているということを、私自身も後になって知りました。

プルデンシャル生命を素晴らしいと思ったのは、今まで営業業務を行う支社という場で知的障がいの人が働いた前例がなかったのですが、そのためだけの雇用契約書を作成してくれたり、職場となるオフィスの建物や駅からの道を細かく確認し、大きな段差がないかなどをチェックしてくれたことです。

また、実際に働く数日前、居村さんに、支社のみんなの前で自己紹介とあいさつをしてもらいました。障がいの影響もあり、5分くらいかけてほんの数行の自己紹介とあいさつをしてもらったときに、半分近い人が涙しながら聞いているのを見たときには「やっぱり、この会社なら障がい者雇用ができる」と思いました。

そうやって居村さんが一緒に働くことになったのですが、働くと言っても言い出しっぺの私自身はほとんど外に出ていて、実際に居村さんに仕事を教えたり管理するのは第一アシスタントの安田さんでした。今でも忘れませんが、初日にパソコンに名刺の情報を入力する方法を教えたのですが、次の日にはパソコンの電源の入れ方も忘れてしまっていました。1週間かけても、1日1枚の名刺情報を入力できるようになるのがやっとでした。

当然その間、安田さんの業務は進みません。安田さんは、居村さんが帰った16時以降にはじめて、集中してアシスタント業務を行う日々でした。安田さん自身もまだ仕事に慣れ始めてきている程度だったにもかかわらず、私のわがままに付き合ってしまったことで、帰りも遅くなり大変な日々を送っていました。私はというと、外から電話して「居村さんどう?」「少しずつでいいからね」というくらいで、その場の大変さに、まったく直接的には関与していませんでした。

当時の居村さんは、ミスをするととても落ち込み、泣いてしまったり、お腹や頭が痛くなったりしてしまうので、その頃は月に一度支援員の人に来てもらい、「どのように接したらいいのか」「どのように仕事の指示をしたら伝わるのか」などを相談したり、居村さんにストレスが溜まっていないかなどのチェックをしてもらいながら、仕事を進めていました。

それから5年が経ち、現在、居村さんは名刺60枚くらいの情報を入力し、はがきの印刷から発送までを自分一人でこなせるようになりました。またさまざまな第一アシスタントをフォローする仕事をしてもらうようにもなり、いなくては困る戦力として働いてくれています。

「障害」が「個性」になるとき

居村さんを雇用するまで、私は、知的障がい者というのは、仕事を教えてもいつまでたっても覚えられないものだと思っていましたが、それは違いました。ずっとできないのではなく、できるようになるのに時間がかかるのです。

たとえば、簡単なルールに沿った作業があるとします。一般的な資本主義の社会では、次の日にそれができなければイエローカードが出され、1週間後にできなければレッドカードが出されて退場となってしまうわけです。

しかし、周りが歩調を合わせてあげると、みんなで歩くことができるのだということを、居村さんと仕事をすることで教えてもらいました。周りが歩く速度を合わせることをまったくしなければ、人はそれを「障害」と呼ぶことになり、周りが歩調を合わせてあげられれば、それは「個性」と呼ばれるものになるのだと考えるようになりました。

そんな、たくさんのことを私たちに教えてくれた居村さんが、安田さんの最後の出勤日に、驚きと感激の「レベル11」をしてくれました。

(※「レベル11」とは、『だから、また行きたくなる。』の中で紹介している、お客さまが「普通だな」と感じるサービスレベルを、ほんの少しだけ超えて、お客さまの心を動かすサービスのことです)

この写真は、そのときのものなのですが、安田さんは号泣したあとの顔なんです。

(左)居村さんと(右)安田さん

その日、居村さんが帰る16時になって、用意しておいた花束を安田さんに渡したときに、こんなサプライズがありました。

「安田さん、長い間本当にありがとうございました」

少しもじもじしながら、居村さんがこんなことを言い出したのです。