なぜ、林先生は予備校の
大学生スタッフに頭を下げるのか…?
つまらぬプライドは捨てる“よき八白としての「〇〇さ」”

 誰もが知っている同じ知識でも、林先生にかかると魔法がかかったように、一つの知識が何倍にも広がる感じを受ける不思議さがあります。

 たとえば、和歌の一首からは、その歌の情景、作者の心情はもとより、時代背景や文化、歴史やファッションなどなど、林先生の知識の引き出しが総動員され、ストーリー化されて私たちの脳を刺激していきます。

 そこに、「山の八白」としての林先生のダイナミックさが象徴されているとともに、懐の深さ、信頼と安心感を聞く人に与える妙味があります。
 なんとも伝え方が“やさしく”感じるのです。

 一体、林先生の何がそうさせているのでしょう。

 その答えの一つには、不動の「山」でいながら、頑固な融通のきかない「山」ではなく、林先生が日頃から心がけている“謙虚さ”があります。

 林先生の本業は予備校の講師です。
“顧客”である予備校生とのつき合いは長くて一年。
 基本的にリピーターはなく一年勝負の世界です。
 そんな中で林先生は常に「予備校生ファースト」を目指します。
 こんな話があります。

 林先生は授業の質を上げるために、予備校スタッフである大学生たちに自分の授業で気になったところがあったら何でも言ってくれとお願いしているそうです。

 現場の若い人の意見をどんどん吸い上げて、講義内容に修正改良を加えながらよりさらに伝えやすい、よいスタイルを追求していく。

《僕の場合、受講した生徒の成績が上がり、受けてよかったと思ってもらうことがゴール。その手段として授業のクオリティーを上げる必要があるので、そのために頭を下げることは平気です。…〈略〉…
「学生の意見を聞くなんて、プライドがないのか」と言う人がいるかもしれませんが、僕にその類の「プライド」はありません。すべては結果です。結果を出すために必要なアドバイスであれば、誰が言ったものかなどは、どうでもいいことなのです。》
(林修著『林修の仕事原論』青春出版社)

 林先生には“教えてやる”というような上から目線はまったくありません。
 林先生は、自分の考えに固執するのではなく、絶えず自分の考えなどを修正している人なのです。

「自分を変えることを続けていく」=続けることは変わらない=不動

「山の八白」でありながら、柔軟な体質を保っていく極意はこんなところにあるのですね。

《僕の場合、自分と他人の意見が分かれたときには、まず一度は自分の考えを否定します。そこからじっくり検証を始めますが、人は良く見ているなと自説を修正する場合のほうが多いですね》
(林修著『林修の仕事原論』青春出版社)