1945年には、カンプラードはさまざまな商品を扱っていた。商圏は地元を越えて広がり、郵便での通信販売も始めた。新聞に広告を掲載することによって需要を喚起し、流通の問題は地元の牛乳配達のバンと鉄道網のおかげで解決した。ペンや鉛筆、写真フレーム、財布、腕時計など、スウェーデン中のさまざまな商品が国内を行き来した。カンプラードは一日中フルに働き、会社を経営した。1946年に兵役義務を果たし、その後再び事業に専念した。

 カンプラードは1948年、初めて家具の宣伝広告を打つ。家具を販売しようという判断は、もともと、競合している会社と対等に渡り合おうとした結果生まれたものだった。家具は地元の製造業者から供給された。価格は安く、順調な販売が期待できた。実際にその通りになり、4年後には他の取り扱い商品からは手を引き、適正な価格の家具と地元の品物だけに専念した。

転機と決断

 1953年までは、通信販売だけで事業を営んでいた。当時の問題は、通信販売業界の競争によって、価格と品質の両方の低下を招いていることだった。カンプラードはいくつかの製品の分野で、でたらめな価格競争にはまり込んでいた。競争相手が粗悪品の配送を続けているという事実は、業界全体の評判にも悪い影響を及ぼす。この状況を打開するために、顧客に製品を実際に見て触れてもらうことにした。

 カンプラードはアルムートで廃業寸前の家具店を買収し、イケアは家具店になったと宣伝した。1953年3月18日に家具展示場を新設した。もし顧客がカタログにある製品を直接確かめたいと思ったときには、この展示場を訪ねればよいわけだ。それは賭けだった。開場初日、カンプラードは不安な気持ちで一杯になりながら、工場兼展示販売場の扉を自らの手で大きく開いた。その瞬間、目の前に広がった光景に息をのむことになる。そこには少なくとも1000人の人たちが今や遅しと開場を待っていたからだ。客の目当ては、おそらく無料でふるまわれるコーヒーとロールパンだった。

 今日のイケアのビジネスを支えている基本原則が確立したのは、こうした初期のころだった。コストに厳しい姿勢は同社の基本原則の1つだ。カンプラードはひもや箱、紙をはじめ節約できるものは何でも節約した。もう1つの特徴は飲食の提供だ。店舗での飲食の提供はコーヒーとロールパンから始まって、今では豊富なメニューを誇るレストランにまで発展しているが、来店客に何かおいしいものを提供するという考え方は、今も昔も変わっていない。「お腹がすいたままでは、いい買い物はできませんからね」と彼は言う。