中島 社外取締役はその事業に対して社内の人たちほど通じていなくてもよい代わりに、客観的な第三者の目で見て妥当性を指摘すべきですね。いわば、株主と世間の代表者としての社外取締役ですから、大局的な視点で、これはちょっとおかしいのではないか、常識に照らして問題があるのではないか、といったことを指摘すべきなのです。

 経営が失敗し、大きな損失を出して裁判になっても、取締役の注意義務の範囲は社内外で分けられていて、社外取締役は細かい数字がわからなかったことや、事業の詳細についての責任までは負うことはありません。しかし、世間的な良識に照らしてどうかという大所高所の判断を求められています。そこは責任を負っています。秋山さんが、神経をすり減らす、とおっしゃったように、責任が重いと自覚する社外取締役や監査役がもっともっと増えるべきです。

「すべてのステークホルダーのため」
というと焦点がぼやける

秋山 先生はこのほど『株主を大事にすると経営は良くなるは本当か?』(日本経済新聞社)という本を上梓されました。このなかで、会社の所有者は形式上も実質上も株主であるということを一貫して主張しておられます。私が感動したのは、「株主主権の前提があってこそ、ステークホルダーがある」というくだりです。結局、ステークホルダー全体の利益は企業価値に収斂されるはずなんですよね。

中島 トップはえてして企業価値を上げるために、「株主、従業員、顧客、地域社会など、全てのステークホルダーのために努力します」と平板に言ってしまいがちです。しかし、そう言ってしまうと焦点がぼやけてしまい、「全てのステークホルダーに配慮する」は、結局「どのステークホルダーにも配慮しない」ことになってしまわないかと憂慮しています。そのことをもっと意識してほしいですね。

秋山 八方美人は結局、消費者を置き去りにしますよね。

中島 そのとおりです。「全てのステークホルダーに配慮する」がなぜだめか、ということを説明するのに良い例といえる共同出資会社のエピソードがあります。

 その共同出資会社は、大手企業4社が25%ずつ出資して作った会社でした。経営については「4社がみんなで責任をとる」という約束でした。ところが、「みんなで責任」の中身について、具体的な「責任分担」が明確でなかったため、4社はお互いに遠慮してだれも共同出資会社の運営について積極的に関与しなかったのです。その結果、「管理不在」となり、いつのまにか会社は反社会的勢力に取り込まれ、そうした人々の巣窟になってしまっていました。その問題解決を担当したとき、私は「みんなで責任をとる」ということは「誰も責任をとらない」ということだなと痛感しました。

「全てのステークホルダーに配慮する」というのも似たような状況があります。本来はどのステークホルダーに対してどのような配慮をするのか、個別的に考えるべきです。まず、経営者は株主との間で「よい商品・サービスを消費者に提供して企業価値を高める」という約束をしています。株主は経営者がその約束を守ってくれると思うからこそ投資しているのです。消費者の期待に応えるのは経営者の基本的なミッションです。