そういえば、2007~09年頃、旧社会保険庁(現日本年金機構)のずさんな記録の実態が問題視され、「消えた年金」などと非難されました。この時、多くの国民は「月○円の保険料を払えば、◎円の給付を将来的に受け取れる」という一種、約束の上に保険料を払っているのに、その納付記録がなければ給付に影響が出るため、怒りが増幅したわけです。その怒りは『ジーサンズ はじめての強盗』の3人に近いといえるかもしれません。

 しかし、国家が「約束違反」せざるを得ない状況になっています。それは国民の平均年齢が延びたことで、給付額が増えた一方、少子化で保険料を支払う人が減っているため、全体的に年金財政のバランスを取りにくくなっているためです。その理由の一端を1962年製作の『赤い蕾と白い花』に見ることができます。

吉永小百合主演の青春映画
高齢化の進展を象徴するセリフ

 映画の主役は女子高生の岩淵とみ子(吉永小百合)。さらに、母の真知子(高峰三枝子)、同級生の三輪重夫(浜田光夫)、その父の貞一(金子信雄)が出演する青春メロドラマですが、とみ子の祖母、岩淵かね(北林谷栄)が秋田県から東京見物に出てきた際、かねととみ子の間で興味深いやり取りが交わされます。

とみ子 「おばあちゃん、いくつになったの?」
かね  「68(注:歳)。長生きし過ぎましたと」
とみ子 「そんなこと言ってやしないわ。でも、68っていえば大体、人間の一生だと考えていいわね」
かね  「まあね」
とみ子 「あと生きる分、おつりみたいなものでしょう」
かね  「おつり銭だって立派なお金です」
とみ子 「ねえ、おばあちゃん。おばあちゃんぐらいの年になれば、『人生ってこうだった』っていう結論が出せるでしょう」
かね  「そりゃ難しいことだわ、そりゃ。おつり銭程度の結論なら出せるかもしれない」

 とみ子の質問は、祖母の年齢をからかうのが目的ではなく、むしろ人生の先輩として、人生経験を吸収したいという知的好奇心の表れとして位置づけられています。そして、かね自身も映画の後半で、まだ当時は珍しかった飛行機に乗って北海道まで遊びに行っているので、「おつり」の人生を謳歌する設定になっているのですが、ここで当時の平均余命を確認してみましょう。