仏さまは見ている
「ばれているぜ」
いきなりこうお寺さんから指摘されると、何のことだろうかと、後ろめたい記憶の1つや2つが脳裏に浮かび、嫌な汗が出てきそうです。
では誰に「ばれている」のか。ご住職? いいえ、仏さまに、です。仏さまはお寺の本堂や仏壇の中だけにいるのではありません。どこにでもいて、あなたの行いを見ています。
それを「ばれているぜ」と表現したのはうまいですね。ちなみに、最初は「ばれている」と書いたのですが、若い人たちも掲示板を読むことを意識して、後から慌てて「ぜ」を書き足したんだそうです。確かにレイアウト的に「ぜ」の位置が少しずれていますね(笑)。
仏の大いなる慈悲のひかり
「ほとけさまに圏外なし」
2つ目の標語もシンプルです。投稿されたご住職の自信作で、「以前、掲示板の言葉として投稿したら、翻訳して海外までシェアされていました」とのことです。
浄土真宗のお寺からの投稿ですから、阿弥陀仏の慈悲はどこにでも届いているということを表しているのでしょう。浄土真宗でいつもお勤めをする『正信偈(しょうしんげ)』の中に、「大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)」という言葉があります。これは「仏の大いなる慈悲のひかりは、いつでもどこでもわたしを常に照らしていてくれる」ということです。まさに圏外なし、ですね。
仏さまの慈悲はケータイの電波のように全く目には見えません。現在、多くの人々は見えているものだけを信用する傾向にありますが、いま自分の目に見えているものが果たして真実なんでしょうか。
目には見えないものも大切にする生き方をしたいものです。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)