Jクラブの監督を務めるのに必要な指導者公認S級ライセンスを取得したばかりの鈴木は、フロント入りを青天の霹靂だったと振り返ったことがある。親会社から出向してきた社員が、強化などのフロント業務に期間限定で当たっていた時代。鈴木を奮い立たせたのは神様ジーコの檄だった。

「フロントは監督を選任して、選手を揃えます。ただ、そのシーズンを戦う陣容を整えたからといって、それで仕事は終わりではない、とジーコからはよく言われました。後は監督以下に任せるのではなく、グラウンドにフロントの人間がどのように絡んでいくのかが大事だ、チーム全体を同じ方向に導きながら組織が持つポテンシャルを100%発揮させる人間が必要だ、と」

 ブラジル代表で一時代を築いたジーコが電撃的に現役復帰し、住友金属工業蹴球団入りしたのは1991年5月。今も「ジーコスピリット」としてチームに脈打つ哲学を、ジーコはピッチ内外の立ち居振る舞いを介して伝授した。その一丁目一番地は、どんな状況でも「敗北」の二文字を拒絶するメンタリティーとなる。

 ウォーミングアップを兼ねた練習前のミニゲームだけでなく、例えばジャンケンで負けただけでもジーコは顔を真っ赤にして悔しがった。アマチュアからプロの集団への過渡期にあった時期。当時のジーコとのやり取りを、鈴木は苦笑しながら振り返ったことがある。

「具体的なレクチャーを受けたわけではなく、ジーコの言葉でボコボコにされながらいろいろなことを覚えていった、という感じですけどね」

 ジーコにもたらされたブラジル伝統の[4-4-2]システムは、今もアントラーズの基本的な戦い方として、鈴木を介して受け継がれている。チームを家づくりに例えれば揺るぎない土台を築いた上で、監督候補と交渉する際に必ずある要望を出してきたと鈴木は言う。

「選手起用や戦い方などはもちろん監督の判断で自由に決めていいけれども、3割は鹿島アントラーズの考え方というものを受け入れて、その上に家を建ててほしいというスタンスはずっと変わりません。他のチームのことに関しては分かりかねますけど、アントラーズはフロントと監督の間とのコミュニケーションや連携を、最も密に取っているクラブだと思っています」