ハーバードでファイナンスを教える名物教授が、数字やグラフの代わりに文学や映画、歴史や哲学のレンズを通して、お金、金融、リスク、リターンなど、ファイナンスの基本原理と人間の幸福な生き方を教える。ファイナンスを、冷たくて人間味がなくてとっつきにくいと思っている人は多い。たいていの人は「ファイナンス」と聞くと小難しいエリートの学問で、日常生活には関係ないと感じてしまう。中には金融マンや金融業界を毛嫌いする人もいる。だが本来、ファイナンスは人間の本質に深く根付いたものだ。人生の営みそのものと言ってもいい。価値とリスクを将来にわたって見通すノウハウとしてのファイナンスは、そのまま人生に活かせる! ハーバード・ビジネス・スクールの卒業生に贈られた歴史的名講義が書籍化!本連載では、待望の邦訳『明日を生きるための教養が身につくハーバードのファイナンスの授業』(ミヒル・A・デサイ ハーバード大学教授著 岩瀬大輔解説 関美和訳)から、エッセンスを抜粋して紹介する。

才能とおカネを結びつける聖書のおしえ

 私たちが人の才能と、それをどう使うべきかについて考えるとき、金融資産を才能として数えることはない。才能とは、数字で表される資産よりも人間くさいものだ。才能とは、その人が持って生まれた力であり、時間をかけて育ててきた能力だ。

 今の私たちにとっておカネと才能につながりがあるとしたら、それは才能を使っておカネを稼ぎ、富を蓄積できる可能性があるということだろう。

 しかし、語源をたどると、才能とおカネは深く結び付いている。「才能(タラント)」とはもともと重さの単位(1タラントはおよそ60ポンド)で、硬貨の価値を表していた。1タラントにどのくらいの価値があったのかは学者によって意見が分かれ、今の通貨価値にして1000ドルから50万ドルの間だと言われている。シケルやドラクマといったおなじみの通貨単位は、1タラントの数十分の1だった。

 ではいつ、どうして、どのように、おカネの単位が人間の才能や能力を表す言葉になったのだろう?ここで大きな役割を果たしたのが、聖書の「タラントのたとえ」だ。タラントのたとえ話は、ファイナンスにおける価値創造の論理によく似ている。

 金融の世界で、価値創造と言えば必ず思い出すのが、資産価値の評価だ。ある資産にどれだけの価値があるかを知るには、どうすればよいか?家や株や自動車を買うときには誰でも、正式または非公式な形で、資産価値の評価を行っているはずだ。自分が支払う金額に見合う価値が、その資産にあるかどうかを知りたいと思うのは当たり前だ。

 さらに言えば、時間やリソースを投資する場合にも、その投資に見合う価値があるかを評価する必要がある。その学位を取るべきか? 子どもをロシア式数学塾に通わせたほうがいいのか?そのような問いに答えるには、目の前の犠牲(たとえば学費)と将来のメリット(自分の娘が2040年にフィールズ賞を受賞する可能性)を秤に掛ける必要がある。

 そのためには、価値(バリュエーション)の評価を行わなければならない。私たちが行う価値評価のプロセスも、たとえばマイクロソフトが262億ドルでリンクトインを買収するときに行うプロセスと変わらない。

 タラントのたとえがファイナンスにおける価値創造の概念を教えてくれるのと同じで、金融業界で実際に行われている資産価値の評価もまた、人生で何が本当に価値のあるものかを教えてくれる。とはいえ、タラントのたとえが厳しい話であるように、ファイナンスにおける価値創造とバリュエーションの論理もまた、かなり残酷なものだ。