ハーバードでファイナンスを教える名物教授が、数字やグラフの代わりに文学や映画、歴史や哲学のレンズを通して、お金、金融、リスク、リターンなど、ファイナンスの基本原理と人間の幸福な生き方を教える。ファイナンスを、冷たくて人間味がなくてとっつきにくいと思っている人は多い。たいていの人は「ファイナンス」と聞くと小難しいエリートの学問で、日常生活には関係ないと感じてしまう。中には金融マンや金融業界を毛嫌いする人もいる。だが本来、ファイナンスは人間の本質に深く根付いたものだ。人生の営みそのものと言ってもいい。価値とリスクを将来にわたって見通すノウハウとしてのファイナンスは、そのまま人生に活かせる! ハーバード・ビジネス・スクールの卒業生に贈られた歴史的名講義が書籍化!本連載では、待望の邦訳『明日を生きるための教養が身につくハーバードのファイナンスの授業』(ミヒル・A・デサイ ハーバード大学教授著 岩瀬大輔解説 関美和訳)から、エッセンスを抜粋して紹介する。
結婚できないかもしれないリスクを恋愛小説に学ぶ
イギリス文学といえば、どんなファイナンスの知恵が思い浮かぶだろう? 実際、19世紀のイギリス文学には、国債の話がよく出てくる。
恋愛小説として名高いジェーン・オースティンの『高慢と偏見』の冒頭は、こんな有名な文章で始まる。
「独身の青年で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要だというのが、おしなべて世間の認める真実である」。
当時のイギリスで結婚にふさわしい男性かを決めるものさしになったのは収入であり、その収入がもたらす生活の安定だった。彼らの収入源になっていたのが、「3パーセント」または「5パーセント」と呼ばれるイギリス国債だった。
この「コンソル債」と呼ばれた永久債は、年金などとは違って所有者が死亡しても償還されず、永久に金利を受け取ることができ、何世代にもわたって生活を支える収入源になっていた。
収入が「結婚にふさわしい男性かどうか」の基準になっていたことは、19世紀のイギリス文学の中で重要な要素として描かれている。そのことが、結婚という市場で若い女性が直面する、リスク管理の核心部分だった。
女性たちは、さまざまな求婚者の経済的な安定とそれに関わるリスクを秤に掛けた。小説のヒロインや家族たちは、そのトレードオフをうまく天秤に掛けることで、いつも頭がいっぱいだった。
『高慢と偏見』で、コリンズ牧師はヒロインのリジー・ベネットに近寄り、手を握って、死ぬほどナルシシストっぽく求愛する。それはおそらく文学史上、最もドン引きされそうなプロポーズだった。リジーが断わっても、コリンズ牧師は諦めない。コリンズ牧師はリジーをなだめもすかしもせず、彼女が抱えるリスクを考えれば求婚を受け入れるべきだと言い張る。
コリンズ牧師は、自分がどれほど結婚相手としてふさわしいかをもう一度くどくどと並べ立てた後に、こんなセリフを吐く。
「あなたには多彩な魅力がありますが、だからといって次に誰かが求婚してくれるかどうかは定かでないことを、お考えになったほうがよろしいかと思いますね。あなたの持参金は残念ながらあまりにも少なく、その愛らしさと好ましさを台無しにしてしまいかねませんよ。私のプロポーズを本気で断わったわけではないでしょう。気をもたせて、もっと惹きつけようとしているとしか思えませんね。素敵な女性はみんなそんなものですから」
要するに、ここで自分に決めなければ、たいした持参金のない君など誰とも結婚できないよ、と言っているわけだ。君はそれほど愚かじゃないはずだ、と。
リジーの母親はこう忠告する。「こんなふうにいつも求婚を頭ごなしに断わっていたら、絶対に結婚なんてできませんよ ― お父様がなくなったら誰があなたを養っていくのか、見当もつかないわ。私じゃないことは確かですよ。それだけは言っておくわ」。
妹のメアリーからも、結婚できないかもしれないリスクはあまりに大きく、「一度道を踏み外したら一生が台無しになる」と言われてしまう。それでもリジーは父親の許しを得て、コリンズ牧師の求婚をうまく断わった。リジーはまだサイコロを振り続けたかったのだ。