ハーバードでファイナンスを教える名物教授が、数字やグラフの代わりに文学や映画、歴史や哲学のレンズを通して、お金、金融、リスク、リターンなど、ファイナンスの基本原理と人間の幸福な生き方を教える。ファイナンスを、冷たくて人間味がなくてとっつきにくいと思っている人は多い。たいていの人は「ファイナンス」と聞くと小難しいエリートの学問で、日常生活には関係ないと感じてしまう。中には金融マンや金融業界を毛嫌いする人もいる。だが本来、ファイナンスは人間の本質に深く根付いたものだ。人生の営みそのものと言ってもいい。価値とリスクを将来にわたって見通すノウハウとしてのファイナンスは、そのまま人生に活かせる! ハーバード・ビジネス・スクールの卒業生に贈られた歴史的名講義が書籍化!本連載では、待望の邦訳『明日を生きるための教養が身につくハーバードのファイナンスの授業』(ミヒル・A・デサイ ハーバード大学教授著 岩瀬大輔解説 関美和訳)から、エッセンスを抜粋して紹介する。
自分にとって大切なものは分散化すべきである
イギリスの議会小説『フィニアス・フィン』に登場するバイオレット・エフィンガムは、ファイナンスでよく使われるリスク管理のツールを直観的に理解し、自分の結婚に際してそれを駆使していた。
彼女に結婚をすすめるチルターン夫人から、自分の息子はバイオレットを心から愛しているのだと告げられると、バイオレットはそんなことはどうでもいいとでも言うように、「私を愛してくれる方なら大勢おりますでしょうよ」と答える。しかし、彼女はチルターン夫人の言葉を跳ねのける前に、最適解を考えてみる。
「ですが、10人全員と結婚するわけにはいきません」。
全員と結婚できてはじめて、リスクは軽減される。うまくいく相手もいれば、うまくいかない相手もいる。だがそれは、全員と結婚できれば、という話だ。
分散化の論理はポートフォリオ理論の要である。
分散化は大昔からリスク管理の手法として使われてきた。たとえばいちばん古い例は、初期の海上輸送だ。当時から、積荷をいくつかの船と輸送ルートに分けて送ることで、人々は損失のリスクを緩和していた。
中世のイギリスでは、農民にとっての最大のリスクは、1区画の収穫に収入を頼ることだった。中世イギリスの「開放耕地」制度は、この問題に対するリスク管理の手法だった。農奴は細長い帯状の土地を割り当てられ、それが領主の所有する土地全体に広がっていた。この方法では輸送費が余分にかかるため、非常に非効率ではあったものの、広い土地にまたがるたくさんの異なる耕区に収穫を分散化することで、リスクを大幅に緩和できた。
分散化によってリスクを緩和する手法は今も広く使われていて、意外な場所でこれを目にすることができる。テレビドラマの『ザ・ワイヤー』に登場する犯罪組織、バークスデールを操るストリンガー・ベルは、分散化を使ってリスク管理を行っていた。
警察といたちごっこを繰り広げるベルは、通信を傍受されないように気をつけていた。そこで利用したのがプリペイド携帯だ。しかし、盗聴を避けるために頼ったのは、1台の電話だけではない。複数の店で別々にプリペイド携帯を買い、大量購入を悟られないようにした。SIMカードも複数利用していた。彼にとって最大のリスクである警察の盗聴と監視は、分散化によって回避できた。
ベルの究極の目標は単なる麻薬取引よりもはるかに大きく、不動産や政府契約へとビジネスを多角化し、大物のゲームに参加することだった。そしてその一部は実現された。
最終的にベルの犯罪組織は崩壊する。プリペイド携帯の購入ではあれほど注意深く分散化していたのに、レンタカー会社を分散化しなかったからだ。何度も同じレンタカー会社を使っていたことから足がつき、ベルは逮捕される。中世の農業から麻薬取引まで、分散化は強力なリスク管理の手法になってきた。
分散化は保険の論理に頼っている。保険会社は多数の個人のリスクを束にすることで、莫大な人口の規則性に頼り、正規分布を使って保険料を決める。
先ほどの例で見たように、リソースをたくさんの航路や土地や携帯電話やレンタカー会社に振り分けることで、分散化の恩恵を受けられる。さまざまな結果に賭けるには、自分の持っているものをバラバラに分けなければならない。
最も貴重なリソースに関しては、とりわけこのやり方が有効だ。人間にとって最も貴重なリソースとはすなわち、時間と経験である。
現役バスケットボール選手の中で最も偉大な選手といえば、おそらくステフィン・カリーだろう。彼はここまでくるのに、一つのスポーツだけに専念し、すべてのエネルギーをそのスポーツにつぎ込んできたのだろうか?子どもをスポーツ選手に育てたい親にとっての常識とは反対に、アマチュア選手も将来有望なアスリートも、一つのスポーツに専念しないほうがいいと言われている。カリーもそうだった。
カリーはすべての時間をバスケットにつぎ込むことはせず、野球もサッカーも、陸上もゴルフもアメフトもプレーした。経験の分散化がもたらすメリットは科学でも裏付けられているようだ。複数のスポーツに参加しているとケガが少なくなり、特定のスポーツで最も必要とされるスキルや、付帯的なスキルが強化される。
リベラルアーツ教育を支えるロジックもまた同じだ。若いうちは専門を決めず、幅広い考え方に触れることで、異なる知的筋力が鍛えられ、長い人生の間に役に立つような多角的なものの見方ができるようになる。