自民党全体が宮沢喜一大臣をいただく大蔵省の原案に沿って動いてくれると思っていたのですが、自民党の「派閥政治」が曲がり角に来ており、折しも野党の若手議員と自民党の一部議員が同調して政府案に反発するという事態にさしかかっていました。「政策新人類」といわれた議員たちです。

 長銀は、最終段階で宮沢大臣や当時の池田政調会長など宏池会の力を頼んだのですが、すでに政界は様子が変わっていました。頼みの大蔵省自身がイメージダウンする中、動き続ける政治の世界に一金融機関が効果的に働きかけることがいかに難しいか、肌身で感じました。

「我々が世界恐慌を引き起こすのでは…」
綱渡りの資金繰りに奔走

 長銀の経営破綻が現実のものとなっても、まだまだやるべき仕事がありました。資金繰りです。国有化されるまでには時間があり、それが10月下旬であることは見当がつきました。その間、長銀が国有化されるといっても、一般のお客さまは金融債を解約し現金化しなければ不安で仕方がありません。

 一方、銀行同士が取引を行うインターバンク市場では、長銀に無担保で融資してくれていた金融機関は簡単に貸してくれなくなります。金融債の解約が相次ぎ、他方でお金を貸してくれなくなれば資金ショートが起こります。これは大変危険な事態で、「あの銀行が払えないとなればこっちの銀行も危ない」と危機が伝播してしまいます。その危険が実際に起こったのが昭和金融恐慌でした。

 しかもデリバティブやスワップといった金融派生商品ではかなり大きな規模の契約を国際的にしていますから、長銀がデフォルトになると国際的な騒ぎになる可能性がありました。折しもロシアで金融危機が表面化しており、金融不安は世界に広がっていました。当時の日銀理事でのちに国有化長銀の頭取やセブン銀行初代社長などを歴任する安斎隆氏にも時折呼び出され、「絶対に穴をあけるなよ」と。安斎さんは万が一の場合には、日銀特融を行わざるを得ないと考えていたようですが……。

 資金不足は「10日後に8000億円から1兆円になる」といった巨額な水準でした。しかし、我々が資金ショートすると世界恐慌を引き起こすかもしれない。そんな恐怖感を持ちながら、私も含め全役職員が必死の思いで資金繰りに駆けずり回りました。

 幸いにも長銀はデフォルトを起こさず98年11月4日、国有化長銀の役員が着任し、私は解任されました。頭取代行に就任してから2ヵ月半の期間でした。