「他者貢献」という目標

 とはいえ「今ここを生きる」という話をすると、非常に不安定なイメージを抱かれる方がいます。アドラー心理学というのは目的論ではないか、今ここを生きるというのもいいけれど、向かうべき目標がないと生きられないではないかと。

 けれど目標を遠い先に据える必要はないのです。何しろ未来はないのですから、そこに目標を持つことはできません。もしも目標を持つとすれば、今ここに生きるときの目標であるべきです。それは端的にいえば「他者貢献」です。

『嫌われる勇気』では哲人は「導きの星」という言葉を使っています。他者に貢献するという導きの星を見失わなければいい。青年は、哲人の発言を受けて的確にこの星を「上空」に掲げていれば、つねに幸福とともにあり、仲間とともにあると言っています。「前」(未来)ではなく、上空(今ここ)にこの星は輝いているのです。

 我々は一人で生きているわけではありません。絶えず誰かの助けを得て生きています。そうであれば、自分も他者に対して何かを与えて生きていくべきでしょう。そのように与え・与えられながら我々は生きていくのです。このことは、今ここに生きるときの目標になり得るはずです。

 他者に貢献することを考えたとき、自分にはそんなことはできない、という方がおられます。特に健康面で自信がない方には多いです。もちろん現役バリバリで仕事をしている方はそうではないでしょうが、誰しもいつまでも元気に働けるわけではありません。

 私は12年前に心筋梗塞で倒れました。幸い今も生き延びていますが、当時は本当に死ぬのではないかと思い、主治医にどんなに病気が重くても本を書けるくらいには回復させてほしいと頼んだのです。するとドクターは「本は書きなさい、本は残りますから」と。ひどいですよね、お前は残らないと言われているようなものです(笑)。もちろん、ドクターはたくさんの症例を診ておられるので、私がかなり良い状態だと分かっていたわけですが。

 でも私はその言葉に大いに希望を与えられました。とにかく、できることがあればするしかないし、できることはしていいのだと。おかげさまでしばらく入院したら回復してきました。するとドクターや看護師さんが私の部屋を次々に訪れるようになりました。カウンセリングを受けに来られたのです(笑)。私は患者なのに身の上相談や恋愛相談を受けてカウンセリングをしている。それはまさに貢献感が得られる経験でした。だから、病床にあっても人は貢献できるんです。

 京都の精神科診療所で働いていたときの例もお話ししましょう。非常勤で勤めていた私は、患者さんの社会復帰のためのプログラムを担当していました。私の担当日には皆で料理をつくるのです。たとえば今日はカレーライスをつくりましょうといって皆で買い物に行きます。60人くらい患者さんが来られているのですが、5人くらいしかついてきてくれません。買い物をして診療所に戻って料理を作るとなると、手伝ってくださる人数は15人くらい。しかし、「さぁカレーライスができました、皆で食べましょう」となると、診療所のどこからともなく患者さんが出て来られるのです(笑)。そして皆で美味しくいただくわけです。

 これは健全な社会の縮図だと思うのです。その診療所には暗黙の了解がありました。今日は元気だから手伝えるけれど、もし明日手伝えなかったらごめんなさい──これが診療所の暗黙の了解でした。我々の社会もそうですね。高齢であったり障害があったり、あるいは病気のために何もできないとしても、その人に価値がなくなるわけではないのです。

 我々はついつい生産性で人の価値を判断しがちです。しかし、何もできなくても、生きているだけで自分には価値があるということを、まずは自分が知っておいてほしい。そうでなければ他者に対する目も厳しくなってしまいます。

 もう亡くなられたあるエリート銀行員の話を紹介します。頭取まで務めた方なのですが、80代半ばになって脳梗塞を患い身体が不自由になられたそうです。ご本人は「こんな風になってしまった私にはもう生きている価値がない。死なせてくれ」と言って家族を困らせたそうです。その方の息子さんが私の講演を聞かれて、もし父の生前にこの話を聞いていれば、次のように父に伝えられたはずだとおっしゃいました。「父さんが生きてくれているだけで僕たちは嬉しいんだよ」と。

 我々の価値を生産性で測ってはいけないのです。その点を押さえ、今ここを生きる目標が「他者貢献」であるとしたとき、行為ではなく、存在していること、生きていることそのもので他者に貢献できるのだと分かるでしょう。そうすれば、我々がこれからどう生きていくかについて、それほど大きな迷いに襲われることはないはずです。

 自分は周りの人に何ができるのかを絶えず考え、一方で必要なときは他者から援助を受ける、その両方が相俟って我々は生きています。そうした人との繋がりのなかにあってこそ、我々は初めて幸せになれるのです。

(終わり)