1988年、女性だけのロックバンド(Minako with Wild Cats)を結成して世間を驚かせる。足掛け2年でシングル3枚、アルバムを2枚発売して89年夏に解散し、ソロのポップス歌手に戻っている。このころ22歳から23歳。

 アイドルからおとなの女性シンガーに変貌してポップスのシングル「7th Bird 愛に恋」(89年10月、東芝EMI)と「SHANGRI-LA」90年7月、同)を残しているが、ほとんど知られていない。ベスト10には遠く及ばず、売上はかなり落ちた。1990年、彼女に関するニュースはスポーツ紙の芸能面からも消え、東芝EMIから発売予定だったポップスのアルバムもお蔵入りした。

 明らかに、大きな壁にぶつかったのである。

 80年代後半の多くの女性アイドル歌手は20歳くらいで女優やタレントへ転身し、アイドルを卒業していく。本田さんは「プロの歌手」を自認し、ロックバンドで歌の方向性を模索したと思われる――。

 と、デビューからの5年間をまとめてしまえばこのようになるが、86年から87年には欧米で英語によるポップスのレコードを録音・発売するなど、1950年代から60年代の江利チエミ、雪村いづみさんと同様の足跡を残している。これもおってご紹介することにしよう。

 ロックバンドからソロ歌手にもどり、シングル2作目の「SHANGRI-LA」を発売したのが90年7月だが、同じ7月2日、東宝は「ミス・サイゴン」の全キャストをオーディションで選抜する、と発表している。本田さんは事務所の社長・高杉敬二さんらと相談し、応募する。

 6ヵ月間7次に渡るオーディションを乗り越え、合格したのは翌1991年1月だった。2月4日、「ミス・サイゴン」の全配役が発表された。応募者は女性1万1503人(男性3584人)、合格したのは女性20人(男性38人)だった。本田美奈子、入絵加奈子さんの2人が主役キムのダブルキャストに選ばれた。