すると、驚くべき現象が起きた。この書き込みは話題になり、わずか1日で135万ものネットユーザーが読んでくれ、関心の高さがうかがえた。その後も増え続け、本稿執筆前日にはすでに262万人に達していた。シェアした回数は1464回、コメントを残した人数はのべ1659人、いいねを押したのは339人といった状況だ。

 自分が提起した問題に、多くの人々が関心を持ってくれたことはもちろん嬉しいが、コメントなどを読むと、不快な思いに駆られるものもかなりあった。

大人になっても赤ちゃんのように
考え行動する「巨嬰」

 私の考えや主張に共鳴しなくてもいい。反論を加えられても全然平気。長年、著述業の仕事をしてきただけに、他人の意見や主張に耳を傾ける習慣ぐらいは持っている。しかし、反対意見の多くに私はある危険なものを見いだし、それを不快に思っているのだ。

 危険なものとは何か。簡単に言うと、批判を容認せず、非常に幼稚な論理で自らの行動を正当化することだ。

 近年、中国社会でよく使われる言葉がある。巨大な嬰児(赤ん坊)を意味する「巨嬰」だ。大きくなっても赤ん坊のような思考回路で物事を考え、行動する大人を揶揄する言葉だ。しかもこういう“巨大な赤ん坊”は1人や2人ではなく、一種の社会現象を作り出すほど膨大な人数に上っている。

 前述した大学生の服装問題をめぐる「巨嬰」たちの論理を見てみよう。

「ここは中国だ。なぜ外国の習慣を求めるのか」

 これは“中国特殊論”と読めなくもない。幼稚な愛国主義者がよく使う論理だ。

「正装の着用を求めるなら、服装代を出せ」

 これは論点のすり替えで、まさに「巨嬰」たるところだ。