敗戦でも見えた、
原監督の指導者としての革命的姿勢

 原監督とは、スポーツ界のパワハラ告発などを語り合うテレビ番組でご一緒した。ドキュメンタリー番組で練習風景や先輩後輩の垣根のないミーティングの光景も目にした。まさに、日本のスポーツ界に革命的な変化をもたらしていることが衝撃的に感じられる。

 その根底に、「伝説の営業マン」と自称する原監督の中国電力時代のサラリーマン経験が大きく反映していることは広く知られている。だがその本質的な意味はどこまで世間に理解されているだろう。私はあえて別の表現で、原監督のサラリーマン経験と監督業をつなぐ独自の感覚を伝えたい。

 原監督が大半のスポーツ指導者と違うのは、本気でサラリーマン生活と向き合った経験があるところだ。現役を引退し、やむなく腰掛けで働いたのではない。競技に生きる道はなく、企業人として活躍するほかに自分を輝かせる方法はなかった。本気で競技を忘れ、取り組んだ経験が生きている。

 こんな当たり前のことが、日本のスポーツ界、教育界では当たり前でない。とくに学校スポーツの指導者は、高校野球も高校サッカーも高校バレーも、教員の枠でしか生きたことがない場合が大半だ。一般企業と教員の世界とでは、常識も厳しさも質が違う。学校を巣立つ生徒の大半が教員でなく一般企業に就職するのに、一般企業を知らない教員やスポーツ指導者が「すべてわかっている」かのような高圧ぶりで指導する滑稽さに、日本のスポーツ界はそろそろ気付くべきではないだろうか。

 サラリーマン経験を持つ原監督は、「箱根駅伝」を指導のゴールに設定していない。もちろん、駅伝チームの共通の目標は大会での優勝だが、それがすべてでないことを監督自身が身を持って経験し、打ちのめされ、這い上がった経験を持っている。だから、「結果からいまを見ている」「人生というスケールで選手の指導に伴走している」、そこに原監督独特の発想の源を感じる。