旭硝子あらためAGCは、世界トップシェアを誇るガラスのほか、電子部材、化学品、セラミックスなどを手がける創業110年超の素材メーカーです。従来のB to BビジネスにとどまらないB to B to Cビジネスを推進するため、社内の研究開発の連携を深化させ、社外と協創するオープンイノベーションを活性化。取り組みの一つとして、東京・京橋にあるAGC Studioで開催中なのが、ガラスの新たな可能性を見える化した展示「AGC Collaboration Exhibition 2018」。このコラボレーションをディレクションしたロフトワークの代表取締役・林千晶さんと、AGCの代表取締役専務執行役員CTO・平井良典さんとで、今回の展示の目的や面白さ、さらに研究開発者とクリエイターとの協創を成功させるポイントなどについて語り合います。アイデアと事業化をつなぐカギとなる「マーケッター」の存在や、フェーズごとの投資の意味合いをきちんと理解する大切さまで議論が広がります。(写真:疋田千里)
AGC株式会社代表取締役兼専務執行役CTO
1987年4月旭硝子株式会社(現AGC株式会社)入社、2012年1月執行役員事業開拓室長、2014年1月常務執行役員技術本部長、同年3月取締役兼常務執行役員技術本部長、2016年1月取締役兼常務執行役員CTO技術本部長、2018年1月より現任。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。
平井良典さん(以下、平井) AGCは素材メーカーとして主にB to Bビジネスに取り組んできて、お客様からの要望を形にしてきました。ところが、この10年はニーズの移り変わりが早く、しかも見通しづらいなか、自分たちからさまざまな提案を行う必要が出てきました。従来のB to Bビジネスでは接点のなかった最終ユーザーやクリエイターの方たちと接点をもつことで、将来の開発に向けた気づきを得られるようになればという期待があって、今回のようなコラボレーションをお願いしました。
林千晶さん(以下、林) 私たちロフトワークはオープンコラボレーションを通じて、ウェブやコンテンツ、空間などをデザインする会社として創業し19年を迎えます。
私もメーカーに勤めていた経験がありますし、日本のものづくりを尊敬しています。改善や改良が日々継承されていることの凄みを感じるのですが、一方で、その脈々と続いてきた努力がもっと生活や環境の変化に応用されればいいのに、と少しもったいないという思いももっていました。そこで、クリエイターはメーカーの皆さんのまっすぐな物の見方をずらしたり変えたりするきっかけを生み出せるのではないか、そして、より付加価値の高い、これからの時代に使われるものができたらいいなと思ってコラボレーションに取り組んできました。
今回AGCさんとの取り組みで、最も魅力的な素材の一つであるガラスに向き合えたのは、すごくうれしいです。建築やプロダクトなどの領域から、幅広い視点でガラスのことをとらえられるクリエイターの皆さんに集まっていただいて、今回の展示が完成しました。
平井 おっしゃったコラボレーションの効果は、まさに私たちが今狙っていることです。「イノベーション」という言葉は日本だと少し違った意味で使われることもありますが、もともとシュンペーターが『経済発展の理論』で言ったときは「新結合(ニュー・コラボレーション)」という新しい組み合わせを指す言葉でした。既存のもの同士を掛け合わせてまったく違う価値を生み出すには、社内だけで考えていてもアイデアは出てきません。これからは、研究開発に携わる人たちが過去にまったく接点がなかったような、違う文化をもつ方とでぶつかり合うことで、頭の回転の仕方や思考体系そのものが変わって、この素材ってこんなふうに活かせるかも、と新たな発想のきっかけをつかめるのではないかと期待しています。研究者はある目的を目指していると視野が狭まりがちなので、新たな視点を得られることの意味が大きいんです。
株式会社ロフトワーク共同創業者・代表取締役
花王を経て2000年にロフトワークを起業。Webデザイン、ビジネスデザイン、空間デザインなど、手がけるプロジェクトは年間200件超。グローバルに展開するデジタルものづくりカフェ「FabCafe」、素材に向き合うクリエイティブ・サービス「MTRL(マテリアル)」、クリエイターとの共創を促進するプラットフォーム「AWRD(アワード)」などを運営。早稲田大学商学部、ボストン大学大学院ジャーナリズム学科卒。
林 本当にそうですね。ただ、クリエイターと呼ばれる人たちと、研究者とでは、発想の仕方にしろ専門性にしろかなり毛色が異なるでしょう。一度コラボレーションを組んだからといって、新たな事業がすぐ生まれるというわけでもないですよね。両者をつなぐプロセスのポイントについて、どのようにお考えですか。
平井 コラボレーションからダイレクトに製品が生まれればベストですが、最初から何が出てくるかは予見できない、と私たちも考えています。まず研究者たちに気づきがあって、そこから新しい開発につながり、さらにお客様への新たな提案をするなかで新製品に結びついたら面白いなと思っています。
林 それを伺って、コラボレーションを仕掛ける立場として安心しましたし、励まされました(笑)。
平井 たとえば、約10年前にスマートフォンが登場して、表面を覆うガラスを「触る」という行為が一般の人々に広まり、今や「魅せる」ものに変わってきていますよね。私たちはスマホが登場したときに、自動車の内装カバーガラスにも同様の動きが絶対来る!と見て準備を進め、いまや実際にヨーロッパ車を中心に、「魅せる」要素としてガラスが多く使われています。この話が出たのは技術系ではなくまさにデザイン領域の人と話していたときです。そういう気づきをより多く得ていきたい。
こんなふうに、過去の「窓ガラス」とまったく違うガラスの使われ方が増えてきたのは、私たちにとってありがたいことです。そのうち半分は私たちのほうから「こんなことができます」と提案をした成果なので、さらに積極的に新たな可能性を探っていきたいと考えています。
アイデアと事業化をつなぐ「マーケッター」の存在
林 クリエイターがガラスの価値を、見た目もきれいだし触っても気持ちがいい、といった“感覚”の側面から見出すことに、コラボレーションの価値があります。それをどこの産業にもっていくといくらになる、といった事業化の発想をすることは、クリエイターの役割ではないと思います。これでいったい何千億円の市場がとれるんだ、という議論をクリエイターとするならコラボレーションはうまくいかないでしょう。どの分野で大きな事業になりそうかという点は企業側の研究者の方とすることで、いい役割分担ができるし、互いに得るものの大きいコラボレーションになるのかなと思います。
平井 アイデアと事業のつなぎ役を果たすには研究者もまだなかなか難しくて、当社では私をはじめとするマーケッターが両者の橋渡し役を担っています。というのも、研究者もこういう機能を作ろうという目的があって開発しているので、目的以外のことは考えていないんです。当社でも過去に、研究者や開発者にインキュベーションから事業化まで任せてうまくいかなかった事例が山ほどあって、その反省を踏まえて2011年につくったのが事業開拓室(現事業開拓部)です。新規事業を立ち上げるときのファイナンスや市場の見極めなどさまざまなサポートをし、ロジカルにプランニングする社内ベンチャーファンドのような存在で、私が初代の室長を務め、その取り組みの成果が確実に上がってきています。
林 AGCにおけるマーケッターには、どういうキャリアプロセスでなる方が多いのですか。
平井 私のような研究者出身は、きわめてまれですね。多いのは、事業側の営業系のキャリアを歩んできて、既存の製品だけでなく新しいものづくりをお客さんと一緒に考えていくのが好きな人、センスのある人です。今は、組織としてマーケッターを育てようと明確に意図して、事業開拓部にセンスのありそうな人を集め、事業を起こしながらのOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)で育成しています。
林 橋渡し役をする人材は絶対必要ですね。先日、ある大手メーカーの方とお目にかかった際、こんな話が出たんです。経営層にとっては500万円でも5億円でも決裁の手続きは変わらないから、どうせ新規事業に投資するなら大きいほうがいいと思われる一方、研究開発側にとっては5億円もらっても手に余るしそれより早く500万円の決裁をして自由に使わせてもらえたほうがありがたい、という感覚のずれがある、と。アイデアと事業をつなぐうえでは、その両者を埋めていく、あるいはつなぐプロセスや人材が必要だと思いました。
平井 500万円と5億円のかけどころはやはり違いますから、明確に分けて考える必要がありますね。開発フェーズであれば、できるだけ投資回収は考えずに、100回のうち99回はうまくいかなかったとしても残り1回で面白い発見につながるかもしれないという点に賭けます。でも、何億、何十億とかけて事業化するフェーズでは、製品がどういうふうにマーケットにつながるか、どのぐらいの利益を生み出すかをシビアに設計して、成功確率100%は難しくても最低でも50%ぐらいは目指してやります。そこは、やはり企業側の仕事だろうと思います。
林 そうですよね。ただ本当は、クリエイティブ側ももう少し開発や事業化フェーズに寄り添わなきゃいけないとも思っています。たとえば今回のコラボレーションでも、硬くて動かないガラスに動きをもたせる試みがありましたけど、クリエイターは何に挑戦しようとしたのか、少なくともマーケッターの方のインプットになるキーワードを提供するセッションの場をもつと、より緊密に連携しやすいのかもしれません。クリエイターとしてはマーケット性を加味せず、とにかく好奇心とか美しさを求めて作り上げた試作品ではありますが、その概念をもう少し言語化できるマーケッターの方にも入っていただいてワークショップをしてみると、動いたり形を変えられるガラスがどの領域で製品化できるのか、発展した議論ができそうです。
平井 マーケッターからすると、新しい提供価値がどこにあるのか、教えてもらえる機会はありがたいですね。その提供価値をどう磨き上げたら、どの市場に向けてどのような製品を提案できるのかを検討するためにコラボレーションできる余地がありそうです。
たとえて言えば映画みたいなもので、すごくいいシナリオライターと、すごくいい俳優さんがいても、やっぱり優秀なプロデューサーがいないといい映画はできないと言われるじゃないですか。シナリオや俳優の力を最大限引き出せるのは、プロデューサーの力量にかかっている。それと同じで、どんなにいい発想があっても、うまくマーケットにつなげられないともったいない。当社ではマーケッターがその役割を担っていますが、肩書きは何でもよくて、その機能が大切なんだと思います。
林 そうですね。そういう議論の場をすぐつくりましょう! (後編につづく)