この事故を契機に、警察庁はあおり運転の摘発強化を全国の警察に通達。摘発件数が飛躍的に伸びた。また自己防衛のため、ドラレコが急激に普及した。

 摘発件数が伸びたのはあおり運転が増えたのではなく、これまで表に出なかっただけのことで、ドラレコの普及であおり運転の様子が毎日のようにネットやテレビで流され続けている。

 これだけ社会問題になっても、減ってはいるかもしれないが、なくなってはいないということだ。

 悪いこと、やってはならないこと、犯罪であることは、これまで摘発されず、あおり運転を繰り返している方々も認識しているのかもしれない。

 しかし、一瞬の激情で中村被告や石橋被告同様、相手の生命を奪ってしまう危険性は高く、そうなっては自らの人生も「はい、終わりー」になることを理解できていないのだろう。

 まして遺族にとっては「通り魔」に殺されたわけで、処罰感情は激烈で謝罪や賠償など関係なく到底許せるはずもない。

 今回公判の起訴の直後に筆者は「自分をコントロールできない人物が運転する車は文明の利器ではなく、もはや走る凶器でしかない」と書いた(参照:『あおり運転に「殺人罪」がついに適用された理由』)。

 あおり運転は見も知らぬ相手の生命を奪う危険が高く、誠にばかばかしい事極まりない行為であることを肝に銘じてほしい。

 それができなければ、ハンドルを握る資格はない。