研究に研究を重ね打ち込んだ
新ブランド立ち上げで失敗

 イラストとデザインの専門学校に通いながら、古着ショップや婦人服販売員、無印良品のインテリア担当などの仕事を転々とした。無印良品ではアルバイトながら商品の発注やディスプレー作りを任されたこともある。

 学校は卒業したものの「絵では食べられない」とイラストレーターの夢は諦め、キャロットカンパニーに03年に就職した。当時は卸専業に近く、事務所も畑の中の倉庫併設のプレハブの建物にあった。デザイナーとして入社した竹本だが、午前中は卸の出荷業務で肉体労働をし、へとへとになった体で午後からデザインをする生活だった。全社員で20人程度という規模だったため、竹本も生産委託先の工場での生産指示から、倉庫での検品作業、値札にバーコードを貼る作業まで、会社の仕事のほとんど全部を経験した。

 ちなみに、05年に生まれた「アネロ」ブランドの名付け親も竹本だ。卸業以外にオリジナルブランド商品のラインアップを広げるため「これから成長する意味合いの名前を」という社長の吉田剛からの指示で、年を経るごとに層が増える「年輪」を意味するイタリア語を選んだのだ。

 苦い挫折もあった。09年にいままで出したことのない定価1万円前後の高価格帯のブランドを一人で立ち上げた。ありとあらゆるレディースバッグを観察してそのディテールを頭にたたき込み、さまざまな製品を開発した。しかし2年間精根尽き果てるまで取り組んだ仕事は結実することなく、会社はこのブランドから撤退。竹本はアネロの仕事を再度手掛けることになる。

 転機が訪れたのは14年だ。

 女性用バッグの流行には一定の周期がある。リュック、トートバッグ、ショルダーバッグなどのはやりが定期的にやって来るのだ。ちょうどリュックの流行期に差し掛かるころで、竹本は何か新たな切り口のデザインを探していた。

 ふと目に留まったのが、がまぐち状のワイヤが開口部にはめられたポーチ。ドクターバッグやツールボックスなどの、いわゆるプロ職業人向けのかばんに使われる素材ではあったが、カジュアルバッグで使用例はなかったという。

 生地にはアウトドア用品でよく使われるポリエステルキャンバスを選び、男女兼用で使えるきれいな色の生地に、ゴールドのファスナーや革の引き手を合わせた。以前失敗したブランド開発で培った「機能性に徹底的にこだわる」という思想を基にデザインを描いた。サンプルが上がってくると、「これはいける」と確信した。